朱衣肩衝(あけのころもかたつき)。嘉永4年正月時の将軍徳川家慶はこの天下の大名物を島津斉興に下賜しています。ただ、島津斉興も大したタマでそれでも隠居せず粘ります。ようやく隠居をしますが・・・そのきっかけは茶器ではない!?今、朱衣肩衝を買うなら?値段価格について!

斉興粘る!最後に折れた理由は?

島津斉興は時の将軍徳川家慶から茶器「朱衣肩衝」を下賜されています。当時、「茶道具類」を下賜するというのは暗に「隠居」を進めている意味があったと言われます。
(色々と調べてみましたが斉興以外の例はなかったんですけどね・・・!)




ただ、嫡男が40歳を超えても藩主の座に居座るというのは当時の常識では異常事態です。その前提があるので斉興としても「茶道具類の下賜」の意図(通常はただ登城して名物が下賜される事はない)は、
理解をしたと思います。



けど、まだまだ粘る!

公卿になりたい!?

斉興と斉彬の不仲は有名で、斉興としては兎に角斉彬に家督を譲りたくなかった。それは、何度か触れているように祖父(斉彬の曾祖父)の影響です。



※重豪以降の歴代薩摩藩主(大河姫作成)



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さらに、そこに対抗心・野心(名誉心)もあったのではと思います。それが、「公卿」になる事ですね。




一応、公家にもランクがあり、第一の関門が「殿上人」になる事。これは、御上のおわす清涼殿に「昇殿」を許される事。「昇殿」が許されない人々は「地下人」と言われます。武家で初めて「昇殿」が許されたのは平忠盛、そしてその子清盛は「昇殿」はおろか「太政大臣(公卿のトップ)」にまでなっています。




公卿というのは「従三位以上」の官位がある者と「参議(役職)」(一応正四位以上)の事です。つまり、現代風に言えば「内閣(つまり太政官)」に参加出来るという事ですね。
(会社員なら棒級(GM棒級・一号棒級など?)と役職(~部長・~室長・センター長)みたいなものです)




勿論、織豊政権時代以降は「公卿」といってもほとんど実態はないのですが、斉興には「想い」があったと思います。




重豪を超える。




歴代薩摩藩主で「従三位」以上の官位があるのは初代薩摩藩主の忠恒と、重豪の二人です。斉彬へのある意味憎しみは元をたどれば「重豪」への複雑な感情が発端です。なんとしても、「重豪」を超えるといった想いがあっても不思議ではありません。




重豪は隠居の後に従三位を与えられているのですが、斉興自身は隠居をすると「官位の累進」はないと考えていたようです。




阿部正弘はそれならと「従三位」を隠居後に与えたと言われます。




たかが官位、されど官位。




かの源三位中将頼政殿もなんとか公卿になりたかったものの、中々なれずにその想いを「和歌」に読んでようやく従三位を得ています。
(清盛は頼政を高く評価していたが、未だ四位である事を失念していた)

朱衣肩衝(あけのころもかたつき)とは?

朱衣肩衝は天下の大名物として知られています。気になりませんか?いったいおいくら位なのか??そして、「肩衝」って何!?

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「肩衝」とは?茶道具一般について

「茶碗」「急須」なら分かります。ただ、一般的に「茶器」といっても馴染みは薄いと思います。「肩衝」って何!?各申します私も「茶器」を覚えたのは信長の野望のお陰でございます。茶器を入手すると簡単な絵面がアイコンで表示されるのでなんとなく学習しておりました。




因みに、「信長の野望」で茶器が登場したのは「信長の野望・武将風雲録(1990年)」から。この時は「茶器」の他に「鉄甲船」なんかも登場。




話が逸れました。




一般的には



  • 風炉(ゆを沸かす簡易炉)
  • 釜(風炉に入れる容物)
  • 水差(ポットのイメージ)
  • 建水(けんすい。水を捨てる容物)
  • 柄杓(みずを入れるのも)
  • 茶器(抹茶の入れ物)
  • 茶碗(文字通り)


等が茶器に一覧になります。



茶道具の設置例。左から、風炉と釜・建水(中に蓋置)・柄杓と火箸・水差・煙草盆



肩衝はこの茶器(この場合の「茶器」は茶道具一般ではなく主に抹茶の容物)の一種です。
イメージとしてはこんな感じです。

茶道具の種類
※茶道具の種類(大河姫作成)

朱衣肩衝の美しさ

大名物と言われる「朱衣肩衝」。室町時代~戦国初期の絵師で現代で言う所の鑑定家「相阿弥(生年不明大永5年(1525年)10月27日)」によれば、



「あけの衣いやしくそざう也、あけの衣は五位のしやう也、五位のくらゐほどのっぽなり」



と評したと伝わります。
「朱の衣」と言うだけに高層が身にまとう「朱の衣」のような美しさであったようです。最近(でもないか・・・)平相国清盛入道のイメージの衣でしょうか?



※国立国会図書館より(クリックで拡大)



では、この「朱衣肩衝の価値」ですがどれくらいなのでしょうか?




因みに、世に「三大肩衝」と称される「初花(現存)「新田肩衝(現存)」「楢柴肩衝(消失)」という名物があります。現存している二つは徳川ミュージアムに所蔵。




こういった「名物」は当然市場には出ないので値段はなんとも言えません。ただ、現在の価値で言えば「数億円」とも言われる価値があると言われます。21世紀に入ってからも某鑑定番組等で「億越え(まあ、若干怪しさもあり)」の茶道具が出ていますからね。




実は「朱衣肩衝」は昭和3年に売りに出されています。その時についた値段が「27,300円」での落札。流石に昭和に入ってくると、物価の計算も楽になります。

ズバリ、朱衣肩衝の値段

朱衣肩衝が落札された昭和3年(1928年)位になると色々と情報が充実してきます。流石は近代国家。日本株式会社の最強シンクタンク部門である官僚機構が調べてくれています。




昭和5年(1928年)の大卒初任給が73円程度という事なので平成30年の20万円と比較すると、
1円の価値は概ね3000円弱程度かと思われます。




単純計算ではありますが、落札された金額に掛けてみると、




27,300円
(落札価格)

×

約2,800円
(20万円÷73円)

=

約7,500万円



朱衣肩衝は概ね7千万円~8千万円程度のお値段でしょうか!




朱衣肩衝(あけのころもかたつき)とは?島津斉興隠居の引出物でございます。

今宵は此処までに致します。

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