海老原重勝について。西郷どんのでの縁談結婚相手として名前が上がります。設定では「上級藩士」という事になっておりますが、海老原重勝は実在の人物?いや、海老原穆がモデルとなっている?西郷どんの第5話「相撲じゃ!相撲じゃ!」で颯爽と現れる海老原重勝と海老原穆について。

海老原重勝は実在?糸の最初の夫か?

後に吉之助の三番目の妻となる糸。因みに、史実では糸と吉之助は20歳前後年が離れております。一部に「史実ガー!」という突込みもあったようですが西郷どんの第4話「新しき藩主」で、ロシアンルーレットをしてからその声は減ったとか減らなかったとか・・・!?

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糸はお嬢?

糸の父である岩山八郎太直温は薩摩藩の家老職を務めていたとも言われます。勿論、調所広郷のように「御小姓与」であっても家老職に就く場合もなくはないので、これを持って一概に身分が高いとは言えないのですが、少なくとも糸が適齢期になる位の時期はそれなりに高い役職についていたと思われます。



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その糸ですが吉之助との結婚は再婚です。糸が最初に嫁いだのは「海老原某」と言われております。残念ながら、「海老原某」であり具体的な名前までは分かっていません。なんらかの事情(夫婦仲が悪かった?)で離縁をして実家に戻っており吉之助と再婚をします。




因みに、大河ドラマ「翔ぶが如く」では「再婚」には触れられていません。吉之助が島流しから戻って来た時に大久保のとりなしで吉之助と結婚しているんですね。大久保の妻になる満須(賀来千香子演)と親友であったという設定でしたね。




「西郷どん」ではしっかり糸と「海老原重勝(海老原穆!?)」との結婚が描かれますが、もし「海老原穆」が海老原重勝のモデルですと色々と脚本が大変な気がします。(余計なお世話かもしれませんが・・・!)




というのは、海老原穆は後に西郷、いや大久保とも色々と関係が出て来る人物です。

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海老原穆とは?

糸の嫁いだ「海老原重勝」は海老原穆がモデルとなっているのでしょうか?海老原穆は後に史実でも西郷、そして大久保とも関りを持つことになります。

吉之助に心酔し、大久保に批判的

海老原穆は薩摩藩出身で天保元年(1830年)1月の生れです。文政10年(1828年)1月生れの吉之助とも年歴が近いですね。後の戊辰戦争でも活躍します。




維新後は薩摩に戻っていたのですが、明治4年(1871年)維新後一時期は薩摩で隠棲していた吉之助が再び中央政府に出仕するようになった際に桐野利秋(中村半次郎)に従い上京し陸軍大尉として任官。




そして、その西郷が所謂「明治六年の政変」で下野した際に職を辞しています。この時、西郷に同調した板垣、後藤、江藤、副島も辞職し「新政府は空っぽ」と言われるような状況になり、大久保達は激しく動揺します。




余談ですが、西郷隆盛は「人間磁石(確か司馬先生談?)」のような一面があり、西郷が職を辞すと所謂「政府首脳」だけではなく中堅の役人たちも「俺も!俺も!!」と西郷隆盛についていく人材が後を絶たなかったと言います。朝、仕事に出かけて、職場で「西郷先生辞す」の報に接してそのまま帰宅もせずに薩摩へ出奔してしまい奥方があっけに取れれたというお話しもあります。




海老原穆もこの時期に共に下野した桐野利秋等と共に下野しますが、後の「西南戦争」には参加していません。




海老原穆は所謂「私学校党」とは別の道から新政府を糾弾します。

集思社を設立し評論新聞を創刊

海老原穆は職を辞した後の明治8年(1875年)3月に新聞社を設立すると、所謂「自由民権運動」に参加して言論活動を持って大久保率いる新政府を徹底的に糾弾します。




「翔ぶが如く」ではこの辺りの経緯も描かれています。もし、海老原重勝が「海老原穆」であると彼は維新後に再登場する事になりますね。
(その際に「糸も元夫」という設定があると色々と大変かなと思いました)




勿論、「言論の自由等はくそくらえ」の時代です。




評論新聞は発禁となり、西南戦争勃発の後には東京府での不穏な動き(西郷軍と呼応しようとしたと言われる)、その活動を咎められて収監されます。




西南の役に加わる事が出来なかった事はきっと海老原穆には痛恨事ではなかったかと思います。

薩摩人の慟哭

明治六年の政変で下野したのは西郷だけではないです。所謂政府高官の板垣退助(土佐)、後藤象二郎(土佐)、江藤新平(佐賀)、副島種臣(佐賀)と薩摩藩出身ではありません。




少々、「ナナメ」「穿ちすぎ」感もあるかもしれませんが、この時に下野した薩摩藩出身者と「他」ではその想いに大きな違いがあったような気がします。




やはり「維新は薩長中心」なんですよね。




他の藩出身者には敢えて言うと「分け前少ない」感があったように感じます。一方で、薩摩藩出身者にはもっと深い意味での「絶望感」があったのではと感じるのです。




海老原穆もその「絶望感」を感じた1人ではなかったかと。




維新後の「西郷と薩摩藩の描かれ方」でその辺りも掘り下げてもらえるかな?期待したいと思います。




以上、「海老原重勝は実在している?糸の最初の夫は?」はでございます。

今宵は此処までに致します。

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