いだてんのあらすじ第24話です。関東大震災で帝都東京は壊滅的な被害を受ける。震災による死者行方不明者は11万人以上を数え、東京市全体の6割の家屋が罹災。街には焼け出された人々が溢れていた。大河ドラマいだてんのあらすじ第24話

いだてんのあらすじ第24話上巻~帝都壊滅~

帝都東京は壊滅的な被害を受けていた。建物の被害は全壊が約10万9千棟、全焼が約21万棟である。政府機関も例外ではなかった。大蔵省・文部省・内務省・外務省・警視庁など官公庁、そして本来陣頭指揮に当たるべき東京市庁舎も甚大な被害を被っていた。

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僅か、三ヶ月前に東京市市長に就任していた永田秀次郎は市庁舎が罹災し使えないためテントで陣頭指揮を執る。



大河姫

関東大震災が発生した頃、世界最大の戦艦長門を旗艦とする連合艦隊は大連沖で演習中であったが、大規模地震発生を受け演習を中止すると支援物資を乗せて東京へ急行。因みに、長門型の速力は公称「22ノット」とされていたがその実力は本来「26ノット」。全速力で東京湾を目指していた時にイギリス艦と鉢合せとなり、その実力が諸外国にも知られる事になった。

嘉納治五郎は東京市長永田秀次郎に面会すると、完成間近の神宮競技場を罹災した人々の為に貸し出したいと提案する。丁度、競技場建設の資材もまだ残っており、これを使えばかなりの仮設住宅が造れるはずだ。



大河姫

嘉納治五郎と永田秀次郎。二人は約10年後「オリンピック」で関わる事になる。東京市がオリンピック誘致を決定するのは永田秀次郎が東京市長に再任した時の事である。

後に、外苑バラックと称される仮設住宅が次々と建築される。




清さんは此処外苑バラックの顔役となり、小梅はここで小さな店を構えると、すいとん屋を始めていた。




四三は小梅の逞しい生活力に舌を巻く。



「熊本では皆心配しているじゃないかい?」



震災の影響で郵便や電信もままならないのだ。また、ここに自分がいても出来る事は少ない。




四三は熊本へ戻る事にする。

見つける

四三は熊本へ戻る。




皆、四三の無事の帰国を喜んで・・・とはならなかった。



「なして帰って来た!?」



激怒したのは「母」幾江である。




四三は東京高師へ入学以来ずっと東京で多くの人に支えられて生活してきた。そして、その東京が今震災で大変な状況であるのに熊本へ帰って来るという了見を叱責する。



「今こそ恩返しをする時ではないのか!?」



四三は途方に暮れる。




分かっている。




分かっているのだが自分が出来る事など・・・。四三と幾江の応酬を苦しそうに見つめていた兄実次が突然。



「逆らわずして勝つ!」



と叫んだ。




この言葉は苦し紛れの一言だったかもしれないが、四三のアタマの中で何かが繋がった。



「そうたい!俺に出来る事・・・!」



四三は自分が走る事で人々を喜ばせるのだと東京へ戻る決意を固める。また、スヤも一緒に戻るとになる。幾江も渋々ながらスヤの東京行きを認めるのであった。

いだてんのあらすじ第24話中巻~復興への道~

東京へ戻った四三は熊本から持ち帰った物資を罹災した人々の支援に役立てる。また、瓦礫の撤去やバラック建設を手伝い、スヤは炊き出しに精を出す。

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青空高座

孝蔵は震災後度々崩れかけた寄席で高座に上がった。自分地震も被災した震災についての話を面白おかしく話した処バカ受けである。




外苑バラックの自治会長の清さんの依頼もあり、外苑バラックでも噺を披露した。震災以来、人々は笑いに餓えていた。




孝蔵のネタは此処でも大爆笑であった。人間の逞しさに逆に圧倒される。




寄席は大盛況に終わり、孝蔵は上機嫌で帰ろうとするが清さんに一杯付き合うよう誘われる。




二人バラックの屋台で一杯やっていると、どことからとなくすすり泣く声が聞こえてくる。



「これを聞かせたかった」



この大震災である。多くの人々が親類縁者友人知人を失っている。皆、昼間は明るく振る舞っている、いや忙しすぎて悲しみに浸る暇もないのだ。




清さんは孝蔵には笑って泣ける落語をやって欲しいと笑うのであった。

対立

嘉納治五郎はこの大震災、積極的に動いていた。




そして、復興に向けた新たな動きを体協理事会に三つ提案する。



  • 巴里オリンピックへの派遣
  • 巴里オリンピック出場選手の選抜
  • 復興運動会開催


復興運動会の提案は四三からの発案であった。



「子供達の笑顔が救い」



子供達はこの状況下でも明るく過ごしていた。大人たちは皆その様子に勇気づけられている。




そんな子供達にこそ、オリンピックを運動会を見せてあげたい。理事会は皆賛意を示す。




復興運動会の話は早速外苑バラック自治会長の清さんにも相談がある。しかし、清さんは反対であった。



「此処には動けない奴も多いんだぜ?」



運動会は元気に動ける人間した参加できない。動けない人が放置されるようなイベントには反対だと。



「いや、やって欲しいです・・・」



声を上げたのはシマの夫増野である。




復興運動会を大々的に宣伝すれば多くの人が集まる。結果的に離れ離れになっている人々を結びつけることに繋がるのではないかと。




シマはまだ行方不明のままであった・・・。




復興運動会は開催される運びとなる。

いだてんのあらすじ第24話下巻~復興運動会~

復興運動会の日は前日からの雨天が嘘のように晴れ渡る。まさに、運動日和の天候となった。

再会

復興運動会には多くの子供達も参加する。可児徳は自らが日本に持ち込んだドッジボールを子供達と興じていた。そこに、思いがけない再会が。



「この子達も参加してOK??」



※関連記事:→大森安仁子と関東大震災


安仁子は夫大森兵蔵の死後もずっと日本に残り、身寄りのない子供達を支援する活動を続けていたのだ。今回の震災でも東奔西走し被災した人々の支援にあたっていた。




また、もう一つの再会。



「人見絹江さん?」



岡山から人見絹江がシマを訪ねて来ていた。




絹江はシマから陸上への挑戦を誘われていたのだが、岡山で陸上の大会に出場して見事に日本記録を叩き出していた。



「やはり走るのが好き」



シマから誘われなければ陸上に挑戦する事はなかった。御礼もかねて東京へとやって来ていたのだ。




絹江は四三の誘いで復興運動会にも参加する。




テニスでライバルであった富江と徒競走に参加し殆ど同時にゴールテープを切り観衆の喝采を浴びる。




最後はオリンピック出場選手による徒競走である。




ストックホルム大会に出場した四三と弥彦のレースは大いに盛り上がる。そして、四三はゴールテープを切った後に怪我など動く事の出来ない人々の周りをゆっくり走る。



「韋駄天に続け!」



清さんの言葉で思い思いに多くの人が四三の後に続いて走るのであった。




以上、いだてんのあらすじ第24話でございます。

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