いだてんで新たに登場した小松勝。四三の書いた「ランニング」に影響を受けて九州一周の途上、池部家を訪ねてきます。四三と小松勝は意気投合し二人は師弟関係となり共に東京へ。そこでシマの忘れ形見りくと出会います。その先は満州へ?小松勝モデルは箱根駅伝でも活躍した山下勝選手なのか?

小松勝は五りんの父親?モデルは山下勝?

小松勝は四三の著作「ランニング」に感銘を受けてマラソンを始め九州で四三を訪ねた後に弟子入りします。この小松という人物は実在するのでしょうか?結論から言うと、どうやら実在の人物ではさそうです。というのも、この小松勝は五りんの父親である可能性が高いのです。

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五りんの父親について

いだてんの第1話で五りんが登場してから皆が探していた彼の父親。




私も探しました。




そして。




見事に外してしまいました。これまでの予想のおさらいをしてみます。

最初の予想

一番初めは人力車夫の「清さん」が父親だと踏んでおりました。清さんの年齢は明らかにはなっていませんが、孝蔵(志ん生)と世代が近いとなると明治23年(1890年前後)の誕生。




五りんは初登場の1959年時に20歳位なので、誕生は「幻の東京オリンピック」の昭和15年(1940年)前後。




清さんが父親なら50歳前後の時の子供という事になります。父親になるには高齢でしょうか?




いやいや、大丈夫です。




五十歳を越えて父親になる人はまあ、ちょっと珍しいけどよくある事です。かの有名な連合艦隊司令長官海軍大将山本五十六は父親が五十六歳の時の子供ですし、いだてんの主人公金栗四三も父信彦も五十には届かなかったものの四十三歳で四三をもうけております。




しかし、いだてん第19話「箱根駅伝」でその予想には暗雲が・・・。



「親父が箱根駅伝で走って優勝している」



と五りんが語る場面が描かれます。清さんは人力車夫で大学生ではないのです・・・。
(ストックホルム予選会は早稲田の学生に混じって出ておりましたが)




ここで諦めかけていたのですが、五りんについて書いた記事に、人力車夫が箱根駅伝に出場(助っ人留学生みたいな感じ?)していたというコメントを頂きました。清さんが後に箱根駅伝に出場すればとも思ったのですが、残念ながらその展開はありませんでした。

清さんと小梅の子供が父親!?

清さん父親の説は諦めましたが、清さん「祖父説」がにわかに有力説として語られるようになります。




いだてん第21話「桜の園」でシマちゃんと増野が結婚。その記念写真を五りんが持っていました。




この時点でシマちゃんは五りんの祖母。そして、産まれたりくが五りんの母という事が確定。




ここで、清さんと小梅に子供が産まれると・・・!




清さんなら自分の子供を箱根駅伝へ出場させそうですよね!?




五りんの苗字は「小松」であることが第1話で母(りく)の形見の手紙を渡す場面で明らかになっています。ただ、清さんの苗字は一切描かれていませんでした。




つまり、清さんが小松姓であれば可能性はあった。




しかし、清さんと小梅の間に子供が産まれたという展開はありませんでした。




この時点で清さんと小梅の子供が五りんの父親、つまり清さんが五りん祖父である説ははなさそうです。

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小松勝とりくは夫婦

小松勝がいだてんに登場した時に、



「もしかして、この人が五りんの父親?」



と思いました。物語が進むにつれてそれは確信に変わっていきます。




いだてん35話「民族の祭典」でシマちゃん改めりくちゃんとちょっと良い感じになっていました。また、小松勝は大学へ入ってオリンピックを目指すみたいですからね。大学に入れば箱根駅伝にも出場し、その健脚を活かして優勝もするでしょう。




第1話で明かされている五りんの姓が「小松」という事から間違いないと思います。

小松勝のモデルは箱根駅伝で活躍した山下勝か?

小松勝が五りんの父親というのは間違いなさそうですが、その小松勝にモデルはいるのでしょうか。竹早でテニス選手として活躍していた村田富江のモデルは実在のテニス選手田村富美子と同じく実在の陸上選手寺尾正・文姉妹でしたが小松勝はどうでしょうか。




五りんによると父小松勝は「箱根駅伝で優勝」しているんですよね。




この時期から戦中までの箱根駅伝優勝校は、



  • 第18回:日本大学
  • (1937年)

  • 第19回:日本大学
  • (1938年)

  • 第20回:専修大学
  • (1939年)

  • 第21回:日本大学
  • (1940年)

  • 第22回:日本大学
  • (1943年)



となっております。ちょっと注目したいのが「専修大学」で活躍された実在の山下勝選手。名前が小松勝と同じ「」ですね。




しかし、その名前以上に共通点とドラマがあったのです。

山下勝は陸上の至宝

山下勝は箱根駅伝第18回(1937年)大会から第21回大会まで専修大学のランナーとして三区を担当。第20回(1939年)には区間1位で専修大学の優勝に貢献する活躍をみせています。
箱根駅伝公式サイトより




東京オリンピックが開催されていれば、長距離ランナーとしての出場は確実視されていたと思います。




最後の箱根出場となった1940年第21回大会では専修大学は優勝を逃しますが、山下勝自身は2年連続の区間1位を獲得する活躍でした。




そして、その1940年。




後に「陸上の至宝」と呼ばれる大活躍をしているのです。

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山下勝選手、村社選手の7連覇を止める

ベルリンオリンピックが開催された1936年から東京オリンピックが開催されるはずだった、1940年までの間で日本陸上界で最も注目されていたのは長距離ランナーの村社講平です。




村社講平はベルリンオリンピックに出場し、メダルこそ逃してしまいますが1万メートル、そして5千メートルで4位入賞を果たしております。




この走りは後の伝説的な長距離ランナーザトペック選手(チェコ)が陸上を目指すきっかけになったと言われます。




村社講平は日本では向かうところ敵なしの強さで、特にオリンピックにも出場した1万メートルは1934年から1939年まで6連覇を成し遂げています。
(1934年から1938年までは5千メートルも5連覇)




そして、この村社講平の1万メートル7連覇を阻止したのが専修大学の山下勝だったのです。山下勝は5千メートルも優勝し村社講平と同じく1万メートルと5千メートルの二冠に輝きます。




村社講平に続く選手が出て来たと当時の新聞は「陸上の至宝」と称えたのです。

山下勝選手のその後

1941年12月8日、払暁。




日本海軍は真珠湾を奇襲攻撃、アメリカとの戦端も開かれる事になります。山下勝は陸軍に入隊し中国戦線へと送られます。




そして、1942年中国河北省にて壮烈な戦死を遂げます。まだ、24歳の若さでした。




箱根駅伝や日本陸上競技選手権大会での活躍を多くの日本人は覚えていた事もあり、当時の新聞は、



「長距離の至宝 山下勝選手 河北で壮烈な戦死」



と、陸上での活躍と併せて大きく報道しています。

小松勝は生き延びる?

小松勝のモデルは山下勝選手であるのは間違いなさそうだと考えているのですが、では、小松勝もまた戦死するのかと言うと、もしかすると生き延びているのではと考えています。




いだてん第1話でりくからの手紙を志ん生に見せる場面がありましたが、そこに記載されいた所属部隊が第126師団なんですよね。




第126師団の編成地は満州東安省で、山下勝が戦死した河北省とは微妙に場所が異なるのです。




第126師団はソ連が日ソ中立条約を破り参戦したソ連軍と戦闘を交え、停戦後生き残った将兵はシベリアに抑留されております。シベリア抑留された日本軍将兵は57万超えそのうち5万5千人以上の方が亡くなるという過酷なものでした。




戦後数年から数十を経て50万人以上の方がなんとか祖国に戻る事が出来ました。中曽根内閣のブレーンや伊藤忠商事での活躍が山崎豊子の「不毛地帯」のモデルにもなった瀬島龍三もシベリア帰りです。




もし、小松勝がシベリアに抑留されていたのであれば後に帰国する可能性もあると思うのです。




そこで、気になっているのが戦後昭和パートに度々登場する足袋姿のマラソン選手。




最初は金栗四三かな・・・?と考えていたのですが、シベリアから戻る事が出来た小松勝なのではないかなと。




東京オリンピックを目指しながら戦争の為に参加出来なかった山下勝をはじめとする多くの選手達の想いを、約四半世紀を経て開催された「東京オリンピック」をその目で見てもらう事で多少なりとも昇華させたいのではと考えております。

勿論、私の予想ですが・・・。




結構よい線を行っているのではとも思っております。




小松勝が撃たれた!(39話を見て追記)

小松勝が赤軍に撃たれしまいました・・・。




それでも・・・!小松勝が葉書を買った中国人風の男が重傷の小松勝を野戦病院へ運んだお陰で一命を取り留める。そして、シベリアへと送られて記憶喪失で帰国する・・・。覚えているのは「走る呼吸」という展開をちょっと信じてみたいと思います。




実際、126師団は沖縄へは行っていないので・・・!




以上、小松勝は実在?モデルは山下勝?でございます。

大河姫

今宵は此処までに致します。

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