武田信玄のあらすじ第34話「上州攻め」。武田信玄と三条の方との間に生まれた太郎義信。歴史の資料には彼については多く語られていない。天文7年(1538年)に生まれた義信は13歳で元服し17歳で初陣を迎え24歳の若さで川中島血戦に出陣。性格が一本気なため、度々父信玄と意見が対立したと伝えられている。

嫡男でありながら不遇な生涯を送ったと言われる義信。歴史は多くは語らぬがその運命は波乱に満ち、数奇な運命に縁どられていたに違いない。

武田信玄第34話上巻~謀反の跡~

我が子晴信と致しましては此度の謀反に人の心の奥底を覗き込むような気が致しましたのです。国主たるもの人の心を治めるのが一番の大事にございますれば、未だ未熟なる己に腹が立つ物感じたのでございます。

→武田信玄(大河ドラマ)の感想第34話「上州攻め」

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表方

「この際謀反に加担せしめたるは皆首を刎ねお館様の御威光を示すべきかと」

「某も倉科殿の意見に賛成でございます」

「西上野出陣を控え事を曖昧にすれば我が軍勢に乱れ生じます」



晴信は上州攻めに関しての評定を開いておりました。




上州(西上野)はかつて名将の誉高い長野業正殿が治めており、晴信の攻撃を良く凌いでおりました。しかし、永禄4年に息子の長野業盛殿が城主となり、また北信濃での上杉殿との戦が一段落してからは我が甲斐が優勢となっております。



「我が軍勢に乱れなどない!」

「これからは外に敵を求め、団結すべきかと」



義信の謀反は我が甲斐の表でも不協和音を生んでおります。倉科殿、陣馬奉行の原昌胤殿は謀反に関わりし者を探し悉く成敗せよと意見具申を致します。




一方馬場殿は既に我が軍勢に乱れはなく、むしろ外に敵を求め団結すべきと進言します。
晴信は悩みます。



「自分の事を申すわけではございませぬが・・・」



かつて、上杉輝虎殿に仕えながら、晴信の調略に応じた大熊朝秀殿は謀反は必ずしも深き恨みがあって起るものではないと言います。



「言うなれば悪しき夢を見るようなもの」

「深追いは禁物にて寛容の精神が謀反を防ぐ良薬かと」



かつて、上杉殿を裏切った大熊殿の言葉は晴信に重く響いたようでございます。

裏方

「義信は飯富兵部に騙されただけなのじゃ」


裏方では三条殿が恵理殿と里美殿に義信の窮地を救うのに協力するように命じております。義信は飯富殿に騙されただけであるにも関わらず、湖衣姫の忘れ形見である四朗に家督も譲ろうとしていると。



「このままではこの裏方も諏訪衆の思いのままになる」



しかし。



「お方様、この館内で事情を知らぬ物はおりませぬ」



恵理殿は直接的な言及はしませんでしたが、義信が謀反の主謀者であること、また、もしそれが三条殿が言う通り飯富殿に騙されただけの事であっても、



「疑いを持たれる事も罪」



であり、晴信の決定に従うと言います。険悪な雰囲気に里美殿が恵理殿は武家の出身であり、その教育では疑われる事も罪と言い聞かされているため三条殿とは認識が異なる部分があると補足します。



「謀反の疑いが生じただけで切腹をする・・・」

「切腹などと申してはならぬ!」



三条殿は「切腹」という言葉に敏感になっておりました。



「もう良い!義信に会って参る!」

「姫様!お館様のお許しがなければ」

「我が子に会うのに許可がいるのか!」

「姫様!!!」



三条殿が部屋を出ていくと、必死に八重が抑えようとしております。そこへ、評定を終えた晴信と鉢合わせをします。三条殿は目に涙を浮かべて晴信に言います。



「義信をお許し下され」

「どうしたのじゃ?このような所では話も出来まい」



晴信は三条殿を伴い奥へ入り三条殿と話をします。三条殿は義信を許してもらえるように願い、また義信と自由に面会をさせるように頼みます。しかし、晴信はそれを認める事は出来ないと言います。



「此度の謀反は甲斐守護への謀反でもある」



命を取らなかった事が親として出来るせめてもの事だと言います。



「それでは東光寺へこのまま閉じ込めておくのですか?」

「それは義信次第、よくよく考えるべきなのじゃ」

「謝罪をするまでという意味でございますか」

「そのような事は儂からは言わぬ」

「義信は誇り高き子、腹を切るやもしれませぬ」

「それもまた生き方じゃ」

駿河

駿府城


「於津禰(おつね)からの手紙涙無くしては見られぬ・・・」



駿河では義信の妻於津禰(おつね)からの手紙を見て寿桂尼様がお嘆きでございます。また、国主氏真殿もまた悲嘆に暮れております。




寿桂尼殿、氏真殿と致しましては晴信が於津禰(おつね)殿の夫でもある義信を幽閉し、四朗には今川家の「許し難き仇」である織田家の養女を迎えている事も許せない事でございます。



「庵原(忠胤)!義信殿を救う手立てはないのか!?」

「将軍家にお頼みするのは如何でしょうか?」



今川家重臣の庵原忠胤殿は義信が将軍足利義輝公より「三管領に准じる」位を得ている事もあり将軍家から働きかける案を進言します。



「将軍家等アテてにはならぬ」



義輝公は三好・松永らに襲われ横死してしまっており、力なき将軍家などはもはや充てにならないと言います。



「何か良い手立ては・・・そうじゃ!塩じゃ!」



寿桂尼様は甲斐信濃には海が無く塩が取れない。相模の北条殿、そして越前・越中の上杉殿にも塩を止めてもらう案を思いつきます。



「氏真!何をしておる?早速北条殿に書状を書くのじゃ」

「しかし、祖母上、信玄が塩位で音を上げましょうか?(疑問)」

「もう良い、私が書きます」



苛立ちながら部屋を出ていく寿桂尼様の背をみつめ氏真殿はため息を突くのでした。

武田信玄第34話中巻~箕輪城~

永禄9年春(1566年)春。晴信は信廉と飯富三郎兵衛に上州箕輪城攻めを命じます。



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「箕輪城を攻める!信廉!兵を集め先に出陣致せ!儂もすぐ参る」



また、飯富三郎兵衛殿には謀反を防ぎながらも飯富殿が実の兄という事もあり肩身の狭い想いをしてきたであろうと言うと、



「其の方には山県の姓名乗る事を許す!」



飯富三郎兵衛殿はこれより山県の姓を名乗ります。

勝頼初陣

上州箕輪城はかつて長野業正殿が治めておりましたが、今はその嫡男業盛殿が治めております。



「甲斐の古狸め!ついに来たか!」

「上杉殿の援軍を当てにしてはならぬ!」



若き当主である業盛殿は側近の上泉信綱殿はじめ重臣達に檄を飛ばします。晴信率いる軍勢は凡そ二万。この戦には四朗勝頼も傅役の阿部勝宝等諏訪衆を率いて加わっております。晴信は勝頼の素直さを褒めると、初陣ではありますが城攻めに関して意見を求めます。



「四朗、お前は此度が初陣であるな?」

「お主なら箕輪城をどう攻める?存念を申してみよ」



初めての戦で緊張気味の勝頼ではありますが、晴信に問われ意見を具申します。



「搦手を攻めるがよろしいと思います」



勝頼は大軍で攻めるには不利な狭い搦手が血戦の場と敵は考えていると言います。ここに此方も少数の精鋭で攻め込む一方で、大軍を持って空堀を埋めてしまい、
一気に攻め落とす事を進言します。



「これは慧眼!まさに天賦の才にございます!」

「真田、褒めすぎは貶すと同じぞ?」

「某はそのようなへそ曲がりではありません・・・!」

「如何した?」

「原殿がおりませぬ(涙目)」



真田殿はこのような発言をすれば、原殿が必ずその発言の調子の良さに苦言を言ってきた、原殿とのやり取りを懐かしく思い出し涙ぐみます。



「其の方も仲良き者を失い淋しいの・・・」

「いえ!どうかしており申した・・・」

「胆となる搦手は誰に任せるか?原はもうおらぬしな」

「その御役目!是非お任せ下さい!」



勝頼は敵精鋭が集まるであろう搦手の先陣を願い出ます。晴信はそれを許しますが、



「よいか?死して初陣は飾れぬぞ?」

「生きて戻るのじゃ」



晴信はかつて初陣の際に傅役の板垣が晴信に申した言葉を勝頼に伝えます。




既に、箕輪城周辺の豪族たちは晴信に寝返り、箕輪城単体で守り切る事が困難なのは明らかでございます。晴信は箕輪城へ真田殿を送り、降伏を促します。




箕輪城方は此方も猛将、そして剣豪としても名高い上泉信綱殿が面会します。



「我らのような小豪族大国に歯向かってもよい事はありませぬ」

「降伏をしても田畑は残る!妻子の笑顔も残ります」

「討死は一時の意地、生きるは悠久の意地にございます」



真田殿は自らの立場を重ね、上泉信綱殿に若い城主である業盛殿の説得を望みます。しかし、永禄9年(1566年)9月、箕輪城は落城し長野業盛殿は自刃をしたのでございます。

武田信玄第34話下巻~光~

箕輪城を落したことで西上野を領国化する事が出来ましたが、心は晴れる事はありませんでした。義信の事が晴信の心に棘のように刺さっていたのでございます。箕輪城攻めから戻ると、晴信は義信の幽閉先である東光寺へと向かいます。

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義信切腹

義信は晴信を前にしても何も語りませぬ。
しかし。



「海の音が聴こえました」

「一度海なる物を見て見たかったと思います」



義信がポツリと語ります。



「誰か!板戸を開けよ」



驚く義信。




東光寺へと幽閉されて以来、義信の部屋は板戸が常に閉められ外の光を見る事はありませんでした。晴信は板戸を開けさせると、さらに障子も明けて東光寺の庭を見せます。




久しぶりの光の眩しさに一瞬目を背ける義信。目が光に慣れた義信は庭を見て涙を流します。
そして。



「ありがとうございました」

「今、この世に生まれ出でた者のようでございます」

「来る日も来る日も暗闇の中で考えました」

「もう何を考えたか思い出す事できませぬが・・・」

「今この光を見て、某の望し物はただの光と分かりました」

「あの庭の美しさ、この世の物とは思えませぬ」

「申し訳ございませぬ、暫く横にならせて下さい」

「申し訳ございませぬ」



穏やかな表情で横になる義信を見て晴信もまた、涙を流します。




その夜。




晴信は東光寺へと急いでおりました。




そして。




そこには変わり果てた義信、そして於津禰(おつね)が。




遅れてやって来た三条殿は義信を見て倒れ、八重が支えております。




晴信は黙って義信を見つめております。




今宵は此処までに致します。

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