武田信玄(大河ドラマ)のあらすじ第1話「父と子」。時は天文5年(1536年)。後に甲斐の虎として名を残す武田信玄はこの時16歳にて初陣を飾っておりまする。しかし、この初陣から後々の悲劇は始まったいたのかもしれません。

武田信玄第1話上巻~初陣~

元服を済ませた晴信は初陣となる戦に出陣をしています。後に、その卓越した戦略と無敵の騎馬軍団を率いて日本全土に名を轟かせる晴信もこの時はまだ16歳。

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ほろ苦い初陣

「若殿、落ち着かれよ」



晴信もまだ16歳、初陣に際しては身体中から汗が吹き出し緊張を隠す事はできません。傅役の板垣信方殿が落ち着くように言いますが、その声は晴信には届いていないようでございます。



「や!!(単騎突入する)」



晴信は陣形を崩し突撃していきます。晴信に続いて傅役の板垣信方殿、原虎胤殿、甘利虎泰殿らも続きます。敵方は弓矢隊を全面に出して斉射!次々と倒れる味方の将兵たち。そして動揺を隠せない晴信。これが戦か。




本陣でも晴信の部隊が突出した様子は分かっていました。しかし、晴信の父、武田信虎殿は微動だにしません。伝令が信虎殿の元へ晴信が無事である事を伝えにやってきます。



「若殿御無事!」



興味もなさそうに信虎殿は言います。



「晴信に申し伝えよ」



例え初陣であっても、そして武田家嫡男であっても、戦場で濫りに陣形を崩すのは重罪であると。



「小心者めが。あやつに「戦」等できはせぬわ」



結局、この戦は小競合いで終わります。
この小競合い以降はにらみ合いとなり、お互いに兵を引き上げます。



「お願い乃儀がございます」



軍勢を引き上げる途上、晴信の傅役板垣信方殿は、このままでは晴信が初陣を武勇で飾れない。敵方の拠点となっている海ノ口城に夜襲を掛けたいと言います。信虎殿は晴信に戦など出来ないと冷たく言い放ちますが、板垣殿は粘ります。



「武田家嫡男が初陣を武勇で飾れなければ物笑いの種」



信虎殿の信頼も厚い板垣殿の申し出に信虎殿も折れます。



「晴信に雲隠れの月でも見せてやってくれ」



晴信は板垣殿ら約130名の兵と夜襲を決行する運びとなります。



おここ

海ノ口城の様子を物見に探らせたところ、昼の小競合いを優勢に進めたこともあり、しばらくは武田家の攻撃もないはずと油断しておりました。実際、主力部隊は城を出てしまったようです。



「若殿、今宵は生きる覚悟を」



「死して、初陣は飾れませぬぞ」



板垣殿は晴信に敵を斬る覚悟、斬って活路を開く覚悟をするように言います。城兵は大将平賀玄信以下50程度。




晴信、板垣殿以下130名の武田勢は油断をしている、海ノ口城へ突入。酒盛りの後、さらには多勢に無勢の海ノ口城の城兵は次々と討ち取られます。板垣殿の手伝いもあり、ついには大将平賀玄信を討ち取ります。これで、なんとか初陣を武勇で飾れました。




城内の残党を制圧している最中、晴信は舞良戸の奥に気配を感じます。戸に太刀を突き刺すと手応えがありました。そこには1人の若い女子が。



「助けて下さい・・・」



女子はそういって気を失います。女子は「おここ」と言いました。元々は信濃川中島の出身で、貧しさから、親に売られてここへ来たとの事。晴信はこの女子を寺へ預ける事にします。




晴信は帰還するとお館様である信虎殿に海ノ口城での武勇を報告します。しかし、城を落したのちにそのまま帰還してしまった事を咎めます。



「なぜ落した城をそのままにした!」


板垣殿は自身の不手際であると信虎殿に詫びますが、晴信は孫子の兵法を説いて逃げ帰った訳ではない事を説明します。しかし、信虎殿は聞く耳を持ちませんでした。板垣殿が不手際を詫びるもののその勘気は解けぬまま。この先の二人の運命を暗示していたかのようでございます。

武田信玄第1話中巻~甲斐国~

武田家は甲斐源氏の名門であり、信虎殿は新羅三郎義光様から数えて18代の当主。応仁の乱以降、世は乱れ、守護職も有名無実化することも多かったのですが、信虎殿は苛烈な戦に継ぐ戦を繰り返し、甲斐国を統一を成し遂げました。しかし、その苛烈な政策は甲斐国衆の離反を招かねない、危うい統一でございます。

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不安

「新たな領地を得る事!それが唯一甲斐の生き残る道じゃ!」


板垣殿はじめ、歴戦の家臣の方々は信虎殿の元団結し、ようやく甲斐を統一しました。しかし、その過程で多くの犠牲があったこともまた事実。これ以上戦が続けば国衆はさらに困窮し今は従っている者もいつ反旗を翻すかわからない。




暫くは戦を控えて内政に注力するべきと進言する家臣団ですが、信虎殿は聞く耳を持ちません。甲斐は山国のため海の幸はなく、また山国でありながら金山等の山の恵みの少なく貧しい。さらに、戦で領土を広げなければ国境を接する大国である駿河の今川氏、相模の北条氏にいつ攻め込まれるかわからない。特に、足利幕府に連なる名門一族の今川氏親は強敵であります。




家臣団も最後は信虎殿の命令に従います。そう、この信虎殿の積極的な攻勢が長らく戦乱が続いた甲斐の国を統一へ導いたのもまた事実。また、今川氏が油断のならぬ大国であることも。

甲駿同盟

この年は信虎殿、甲斐の国にとっては一つの転換点となります。



「駿河の国主今川氏輝様、弟の彦五郎様死去!」


今川家では相次いで一族が病死。
家督は出家していた梅岳承芳(後の今が義元殿)に相続となるはずだったのですが、一族の福島氏に推された玄広恵探殿は花倉城で挙兵。駿河は内乱となります。いわゆる「花倉の乱」でございます。



「花倉城落ちましてございます!」



伝令の報告に自分の息子「梅岳承芳」(後の今川義元)の勝利を確信した寿桂尼殿は一言。



「そうか・・・」



結果的には梅岳承芳殿が太原崇孚(たいげんすうふ)殿の支援を受けて、玄広恵探殿を滅ぼし家督を相続しますが、この時、武田家と今川家の間で盟約が結ばれます。我が娘が義元殿の元へ嫁ぎ縁戚関係を結ぶ事になります。




そして、その返礼として、今川殿のお口添えにて晴信に都から三条公頼殿の娘が嫁ぐ事にあいなりました。日の本広しと言えども清華家(摂関家に継ぐ家柄)の娘を嫁に迎えた武家は聞きません。信虎殿の喜びようはたいそうなものでございました。



「今川との盟約のため、そちに嫁をとらす!」



晴信の様子にご不満があったのでしょうか。嬉しくないのかと詰問をします。



「嬉しゅうございます」



晴信はお館様である信虎殿の喜びは自分の喜びであると申しますが、信虎殿は中々納得しませんでした。そして、最後。もし、その言葉が嘘偽りでないならば。



「寺に匿っている女を捨ててこい」



先の戦で怪我をさせてしまった女子、おここの事でございます。晴信はおこことの間には何もやましい事はないと言いますが、信虎殿は納得致しません。ついには太刀を抜いて晴信を斬りかねないご様子。



「私に免じてどうか」



寺に匿っていたおここは私があずかり、晴信は二度とおここには会わない。なんとかこれで、決着をつける事になります。




この頃、信虎殿は自らが流してきた血に少々気鬱になっていたのかもしれません。その言動は益々苛烈となっていきました。その後、敗れた福島氏の残党が甲斐へ逃げ込んだ事件がありました。残党は甲斐の前島伊豆守殿を頼ります。




前島殿は信虎殿の命に従わず、匿った福島の残党を庇い続け、一族諸共信虎殿に殺されていまいます。ただ、その最期。



「正義はこちらにある!」



曲げる事なき信念は晴信にも大きな衝撃となったようです。

三条の方

都から遥々この山国に下向される姫様のお気持ちは如何ばかりでしょうか。祝言は太原崇孚殿も参られて執り行われました。しかし、晴信はこの頃まだ寺に預けていたおここと会っていたようでございます。この事は後に悲劇を産みます。




この三条の方には八重という女御が帯同致しておりました。八重殿は晴信の気持ちがおここにある事を知り怒る三条殿を嗜め、



「ここ(甲斐)は戦場。お子を産んで戦に勝つべし」



と、はっぱをおかけになられていました。三条殿にとって八重殿はただの女御ではなく「母」であったと思います。




信虎殿はこの公家の姫君をいたく気に入っておられました。勿論、その家柄、さらにその跡継ぎを得ればとのことでしょうが、少なくとも、三条殿が気持ちよく過ごせるように気配りをされておりました。



「どうじゃ?日本地図じゃ」



信虎殿は金屏風に描かれた日本地図を贈ると、戯言で三条殿がもし戦をするなら何処を攻めると尋ねます。



「駿河を攻めます」


縁戚関係もある駿河の寿桂尼殿もいる駿河を攻め、京へ上るというお言葉は、信虎殿をいたく感心させておりました。ただ、三条殿の戦はこの時既に始まっていたようでございます。



武田信玄第1話下巻~父と子~

おここと会っている事がもし、信虎殿に露見すれば、あのご気性を考えるとただではすみません。しかし、晴信は隠れて会うのを止めて堂々と会うと申します。

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おここの死

晴信は私に「偽りを生きるのを辞める」と宣言します。そして、ある日。信虎殿から問い質されます。



「約束は違えていないであろうな?」



約束とはとりも直さず、おこことは二度と会わないという約束です。晴信は自分は信虎殿との約束を違えたこと、そして、覚悟はできていると言います。



この時は信虎殿も、



「約束を違えし罪は重い」



と、だけ申しておりました。
晴信はこの時武田家の家督を捨てる覚悟であったようです。しかし、この覚悟は思わぬ形で終わります。ある日、晴信が寺へ行くとおここが何者かに刺されて瀕死の状態でございました。晴信はおここの最期を看取り、おここにいつか故郷の川中島へ連れて行ってやると話をしていたことを思い出します。

天文10年

5年の歳月が流れます。晴信と三条殿の間には嫡男、後の武田義信が生れておりました。そして、信虎殿は益々戦にのめりこみ、甲斐国は疲弊しきっておりました。



「このままでは甲斐は割れる」



信虎殿と共に、甲斐統一の戦を戦い抜いた板垣殿はじめ、歴戦の家臣たちは昨今の信虎殿のやり方についていけなくなっている、国衆達が一離反するか分からない状況を危惧しておりました。しかし、下手に信虎殿を諫言しようものなら、何処の国衆が不満を言っているのかを聞き出し、その国衆を滅ぼしかねない状況です。家臣の皆々様の苦悩は深いです。




その頃の信虎殿は酒と戦に溺れ、やや正気を失っていたかもしれません。



「儂は血の匂いがする。幼子には毒だ・・・」



そして、晴信にも新たな出会いが。晴信が家臣を連れ山駈けをしていると見慣れぬ者が馬を駆っています。その後を追跡すると。晴信達は武装した農民らしき者に囲まれておりました。




今宵は此処までに致しとうございまするが、我が子晴信がお相手仕る方々をここに申し上げたく存じます。






相模国の国主、「関東の雄」北条氏康殿






駿河遠江2国の国主、「朝廷にも親しいお家柄」、今川義元殿






風の如く生き、槍の如く鋭い尾張国主、織田信長殿






そして、やがて川中島で合間見目ます越後の国の国主、上杉謙信殿。



これより、我が子晴信、戦国の世を生きまする。

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