武田信玄(大河ドラマ)の感想第29話「勝利と敗北」。武田信玄最大の山場が終わりました。永禄四年の川中島は伝説となった。そして、武田家の伝統芸と化しつつある親子喧嘩。信繁亡き後の「親子喧嘩」調停役はいったい誰が引き受けるのでしょう?その答えはチームプレー??

武田信玄感想29話「親子喧嘩」

暫くなりを潜めていた信玄と義信の諍いが爆発します。そして、いつも親子喧嘩を調整してくれていた信繁はもういない。

→武田信玄のあらすじ第29話「勝利と敗北」

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義信

川中島血戦ではまんまと政虎の罠に嵌り、



「守りに徹しろ」



という信玄の指示を無視して攻撃に出ます。突出してしまえば包囲が容易となり、実際義信は危ない所でした。その様子を見ていて感じたのは、明らかに義信自身も



「これはまずったか?!」



と、動揺を見せていました。
正直、そこで「罠だったか」と気がついていて欲しい所です。しかし、海津城での合議の場では自分の正当性を朗々と主張します。



「孫子曰く(ドヤ顔)」



これは、信玄ならずとも腹立たしい・・・!この様子を見ていると私も義信の将来に不安を感じます。




今回の信玄が家臣の前で義信の命令無視に触れたのは、ここで言っておかないと家臣に示しがつかない面もあったと思います。義信の命令無視という「軍律違犯」を必ずしも責めるのが目的ではなかったように感じます。若い頃なら思わず血気にはやることは経験する事ですしね。




そのせいで多くの兵士と有力な武将を失っていますが、信玄自身も「上田原」(国主と嫡男の違いはありますが)で多くの犠牲を払っています。



※関連記事:→「上田原血戦!」武田信玄第11話より


結果的に今回の件で義信が成長してくれれば良い。




信玄の表情からは義信自身が政虎の計略に掛かってしまった事に気がついている事を期待、いや、半ば確信をしていたんではないかと思います。




しかし、義信は信玄に面と向かって反論します。




この時の家臣一同の雰囲気・・・。



「若殿、空気読め・・・」



信玄の怒りが爆発します。
ただ、川中島で包囲され危機に瀕していた義信の表情を見ると、気付いていない訳ではないと思います。



「父憎し」



の感情からの発言だったようにも感じました。いつの時代も親子とは一度拗れると難しいものです。

家臣の連携

信玄の怒り爆発で海津城広間に緊張が走る。「親子喧嘩調停のプロ」信繁はいません。



「ハハハ!若殿はお若い!」



この気まずい雰囲気を打ち破ったのが
真田幸隆
そして、原美濃守と言い争いをはじめ、
高坂昌信がチャチャを入れて、
さらに、飯富三郎兵衛が訳の分からん事を言います。



「捕らえた敵兵はどうしますか?」



この場に相応しくはない些事な事を信玄に確認する三郎兵衛。
あきれ果てた表情で信廉が雑兵は百姓であり、解放してやればいい。



若殿と一緒に国境へ行って解放しろ」



この、華麗なるパス回しで義信や海津城の外へ。




信繁不在の穴を埋めようと皆必死でしたね。そして、その様子を見る飯富虎昌の表情がなんとも切なくありました・・・

武田信玄感想29話「記憶はいい加減」

ちょっと前にも触れたかもしれませんが、今回「啄木鳥作戦」の発案、というか強力な推進者は馬場信春でしたね。

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啄木鳥作戦と勘助

一般的には「啄木鳥作戦」というと山本勘助が発案した作戦であり、勘助はそれが上杉政虎に見破られていた事に責任を痛感し、敵陣に突入し討死と説明されます。
(最近は違うのかしら・・・?)




大河ドラマ武田信玄で山本勘助が討死するシーンはよく覚えていました。それと同時に「啄木鳥作戦」は勘助の発案であるという事がどこかで私の記憶に上書きされていたようです。おそらく、「信長の野望」シリーズの三行武将紹介かなんかの影響ではないかと思っています。




人の記憶というのは存外あてにならないモノなのだなと感じます。




さて、勘助の妻子にその最期を知らせに行ったのは、勘助に脇差を託された平三と原美濃守です。




原美濃守は勘助とちょいと仲が良かったですからね。きっと淋しいだろうと思います。




まあ、敵方には「村上義清」のように六十超えて元気な武将もおりますが・・・。真田幸隆とはある意味?喧嘩友達のようであるものの、タイプ的には勘助のように朴訥な人柄が好きなのだと思います。そしてお互い別の国(美濃殿は下総、勘助殿は駿河)から甲斐へやって来ている事もシンパシーを感じたのかもしれません。



※関連記事:→下総と駿河武田信玄第10話より

武田信玄感想29話「memento mori」

川中島の戦いの後に信玄は高熱を発します。そして、医師の立木に「死とは何か?」と尋ねます。

死を思う

武田信玄はこの年40歳(1521年5月生)です。歴史を知っている者からすると、もうあと10年ちょっとしか生きないんですね。



「お館様はお若いので死は平穏の彼方からこちらを伺っている」



齢40歳。
もはや信玄も若くはないと思います。




以上、武田信玄の感想第29話「勝利と敗北」でございます。

今宵は此処までに致します。

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→武田信玄(大河ドラマ)の感想第30話「義信事件(一)」