武田信玄(大河ドラマ)の感想第11話「越後の虎」。今回の副題は「越後の虎」ですが、正直これは今一つな副題かと思います。第11話の主役は間違いなく「板垣信方」です。この11話で第1話から晴信支え続けてきた板垣信方殿と甘利虎泰殿が討死してしまうのですから。今見ても・・・菅原文太さん・・・・大きな男だ。
上田原の戦い
歴史的にも晴信に明確に「土」を付けたのは村上義清殿のみ。その最初の敗北がこの「上田原の戦い」です。
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さらば板垣・甘利
第1話「父と子」から一貫して晴信を支え続けてきた板垣信方殿。信虎殿が実父ですが、私には板垣こそが「育ての父親」だったのではないかと思います。そして、残念ながら「親離れ」は「今生の別れ」となってしまいました。
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いつの時代も父と子は難しいものではありますが、「育ての親」である板垣との関係もやはり一筋縄ではいきませんでした。第7話「風林火山」の感想でも記載しましたが、湖衣姫との結婚問題で一時的ではありましたが「決定的な対立」に陥っています。大井夫人が奇しくも「祝言は晴信の我儘」であり、何やら「信虎殿を思いだす」と言っていましたが、今回の「戦の差配」でも「信虎殿を彷彿させる」結果となってしまいました。
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「信虎殿の時代に後戻りするかもしれない」
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「国主とは、周りが見えなくなるのか」
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甘利殿は不安を口にしていましたね。板垣殿と甘利殿が信虎時代からの三十余年を振り返り討死する様は、諏訪頼重殿の家臣二人が千野伊豆入道殿と千野南明庵殿が、諏訪のために敵陣へ突入した事を思い出します。このお二人も主君への諫言のために命を捨てていました。
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※関連記事:千野伊豆入道殿と千野南明庵殿
→武田信玄第6話「諏訪攻め」より
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板垣殿と甘利殿も死をもって諫言をされたのでしょう。そうでなければ、
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「一日の戦で二人が同時に命を落とすはずはない」
(大井夫人談)
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ただ、幸いなのは。
二人が命を持って諫言した事は意味はおそらくあったのだと思えるところでしょうか。
武田典厩信繁ここにあり!
これまで晴信と信繁の兄弟仲が良いというのは、第3話「別れ」での信虎殿を追放する事を事前に伝えるところや、第10話「国造り」で父信虎殿の事を話す場面等で描かれていますが信繁の器量に関して具体的に描かれる事はありませんでした。
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この第11話では「武田家になくてはならない存在」であることが明確に描かれていました。板垣・甘利が討死したという現実を自分の中で消化出来ずに思考停止状態の晴信に、
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「兄者!退けの合図を!手遅れになります!」
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と進言した後、原晶俊殿の「徐々に後退」案を採用して自らの指示で武田軍を退かせています。
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この「上田原の戦い」が始まる前に、晴信は板垣殿に、
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「国主は儂じゃ。お主ではないぞ」
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と、言っていましたからね。他の誰もが「退くべきだ」と考えても「あの板垣信方殿の進言も受け入れられたなかったのに」と躊躇したと思います。他の誰も指示は出来なかった。そこで「副将」として立派に務めを果たしていたのが印象的でした。しかし、武田家は兄弟仲は晴信、信繁、そして信廉と良いのに。父子関係が常に微妙なのは残念な事です。お隣の北条殿が羨ましく存じます。
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板垣信方と菅原文太
菅原文太さんの代表作と言えば「トラック野郎」「仁義なき戦い」を上げる人が多いと思います。若い方でも、後にご覧になってファンになる方も多いです。今では有名なお話しですが大人気漫画の「ワンピース」で海軍大将(2017年4月現在は元帥「サカズキ」は「仁義なき戦い」の頃の菅原文太さんをモデルにしています。※余談ではありますが、黄猿は田中邦衛さん、青雉は松田優作さんがモデル。
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ただ、私にとって一番思い出深いのは板垣信方です。
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「山のように大きな男」
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後に、晴信と上杉謙信殿を評して語られる言葉ですが、私にとって「山のように大きな男」とは菅原文太さん演じる板垣信方。
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最期、ただ、風の音だけで聴こえる中で、
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「お館様。甲斐を。甲斐を御守り下さい・・・」
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と息を引き取るシーンはなんとなく大地へと還っていくような雰囲気を感じました。
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大河ドラマは概ね1年50話前後の長丁場ですが、菅原文太さんはこの11話でクランクアップとなります。
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今では、「名優」の地位を確立している晴信を演じる中井貴一さんですが、当時は、まだ27歳と若く、またかなり現場は厳しかったようです。
そんな中で、
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今日から俺は視聴者として『武田信玄』の一番のファンになる。これはお前の番組だ。どんなわがままをいってもいいんだ。撮影には来ないけれど、ファンとして俺が見てるってこと忘れないでくれ。
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と主役の中井貴一さんを盛り立ててくれたそうです。これは完全に個人的な感覚ですが、幼い頃に実父を事故で亡くされているので、世代的には「父親」と言えるような菅原信方の存在は心強かったのではないかと想像します。
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板垣信方殿・甘利虎泰殿も死をもって晴信、そして中井貴一さんも「独り立ち」をしたと言えるのかもしれません。
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母と子
武田晴信に初めて「土」を付けた村上義清。武田勢が「不利」であったかというと勿論そうではありません。
(少なくともドラマの中では)
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上田原での敗戦は裏方や母、大井夫人にも衝撃を与えます。三条の方も凍り付いていましたが、大井夫人は忸怩たる想いだったかと思います。
叱る
「板垣、甘利を討死させたのは其の方の罪じゃ」
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大井夫人が晴信を叱ります。晴信はまさに、母の怒られる子供のように俯いたまま言葉を発しません。大井夫人も語っていますが、
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「勝ちに驕った」
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のだと思います。この戦はある意味では後の徳川家康にとっての「三方ヶ原」なのかもしれません。
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人生とは難しい。晴信は陣馬奉行の力量を知り、板垣甘利を始めとする重臣達を信頼してはいるにも関わらず、自分の「驕り」で拙速な形で戦を初めてしまいます。上田原ではもし信繁がいなかったらただの敗戦では済まなかったかもしれません。
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しかし、その信繁もまた「弟」なんですよね。晴信をコントロールする事、叱る事は出来ない。
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そこで大井夫人。
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大井夫人は勿論「戦の機微」等は分からないと思います。ただ、我が子の「驕り」が此度の多大なる犠牲を払った敗戦を招いた事はよく分かります。人生で大切な事はそれ程「複雑な事」ではないんでしょうね。
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「父上を国外に追放した」
「それは、ただ国主の座を欲した訳ではありますまい」
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晴信の一番イタイ所を突いて、反省を促す。この時このように晴信を叱る事が出来るのは母親である大井夫人しかいなかった。
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この時は下を向いて、ともすれば「拗ねている」ように見える晴信。しかし、きっと後々母親の有難みを感じたのではないかと思います。
長尾景虎初登場
今回の副題は「越後の虎」ですが、景虎の登場は最後のちょっとだけ。丁度、天文17年(1548年)12月。越後守護代として登壇したところです。
タイトルは??
景虎、後の上杉謙信はご承知の通り、川中島の戦いで文字通り武田信玄と死闘を繰り広げます。ただ、景虎にとって「敵」の順番で行くと、まず一番は「北条氏康」という事になりますね。
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まだ、それ程因縁がある訳ではないので、この武田信玄第11話のタイトルに「越後の虎」はまだ早いかな。やはり今回は「板垣・甘利」の二人の物語だったかなと。
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「板垣の死」
(甘利さんゴメン!)
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そんなタイトルの方が合っていた気がします。
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冒頭の宮本隆治アナのコメントも、
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「板垣信方は奥信濃上田原にて壮絶な戦いを仕掛けようとしていた」
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と、いうコメントで〆られていましたからね。
内容も全部板垣の事に関してでした。
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以上、武田信玄(大河ドラマ)の感想第11話「越後の虎」でございます。

今宵は此処迄に致します。
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