なんこで祝言の客人を連れ出す正助と、その意を汲んだ吉二郎。西郷どん7話では正助奮戦!しかし!子供には通じなかった。なんことはいったい!?しかし、そんな笑い話は翌日には吹き飛ぶ。祖父に続いて父の死、そして母もまた・・・。西郷をして「これほど悲しい年はない」と言わしめる。西郷どんの感想第7話「背中の母」!
西郷どんの感想第7話~「なんこ」とは?~
まず気になるのは「なんこ」ですね。なんことは簡単に言えば酒の上での遊びです。史実では西郷は下戸で酒を嗜みませんが、大久保や小松帯刀等は大好きだったとか。
なんこ遊びのやり方
なんこ遊びとは別名「薩摩拳」と言います。基本的には二人で行う遊びです。
木の棒(当初は象牙を用いた)を三本づつ後ろでに隠し、互いに何本かを握り締めて面前に出して相手の本数、あるいはお互いの本数を言い合い勝ち負けを決めます。
お互いがはずれ、あるいはお互いの予想が同じならば「あいこ」どちらかが負ければ「焼酎」を罰酒として飲む。ただ、薩摩人は「焼酎好き」なので、勝っても「献杯」と飲む事も多かったとか・・・!まあ、結局飲みたいだけという説も・・・。
大久保は特にこの「なんこ」遊びが大好きだったと伝わります。近代的郵便制度の父で1円切手の人物としても良く知られている前島密は薩摩藩の洋学校(開成所)の蘭学講師として招かれるのですが、大久保はその歓迎の宴席でしきりに「なんこ」を勧め前島を閉口させたと伝わります。
引用元: 1円普通切手前島密(日本郵便)
まあ、意外と大久保は宴会男だったようですね。
このなんこ遊びは元々は戦国末期に「鬼島津」と恐れられた島津義弘が「唐入り(文禄・慶長の役)」から帰国した歳に薩摩へ持ち込み広まったと言われます。
因みに、同じような遊びに「崎陽券(長崎)」や「箸券(高知)」といったものがあります。現在も鹿児島県では根強いファンもまだまだいらっしゃるそうです・・・!
西郷どんの感想第7話「背中の母」はまだまだ続きもす!
西郷どんの感想第7話~須賀どん美しか・・・!~
「貧しい事は恥じではない」
本日、須賀どんが今日一の台詞です。これは、声を大にして言いたい!須賀どんはちょっと個性的でございもすが、心は清か人で、美しか嫁にございます!
新婚初夜を・・・!
因みに、西郷の最初の妻となる須賀の実家である伊集院家の家格は若干西郷よりも上であったと伝わります。
※関連記事:→須賀、西郷最初の妻。西郷家の貧しい理由
※関連記事:→須賀の父と弟、伊集院兼善・兼寛父子について
ただ、西郷家は子沢山のため(さらには吉兵衛が亡くなりさらに苦しくなる)生活は貧しく同じような役職・家格の家と比較しても生活は苦しかったようです。
だからでしょうね。貧乏で「布団」なるものを見た事がない小兵衛君。
正助得意の「なんこ」で酒好きの客人を引き連れて、なんとか新婚初夜を演出してあげようとするのですが・・・。
「布団だ!!」
産まれて初めて「布団」を見た小兵衛さんの好奇心は計算外でありました。しかし、翌日吉兵衛さん亡くなってますからね・・・!
暫くは喪に服しますよね・・・?
吉之助は新妻を隣においてお預け状態になるのが不憫でございます・・・!
日本一の嫁
「運命の人に出会うんじゃないの」
「運命の人にするの」
(byみくりのママ~逃げ恥第8話~)
吉兵衛が良い事言っておりました。そうなんですよね。
「吉之助は惚れた腫れたで嫁を取る軟弱ではなか!」
前回「西郷どんの感想第6話」でも触れましたが、恋愛結婚(が、素晴らしい)という概念はそもそも戦後に入ってきた価値観で、その後も昭和末期位までは「恋愛結婚風お見合い結婚」だったと思うのですよね。
でも、じゃあその「お見合い結婚」「恋愛結婚風お見合い結婚」をした人が不幸せかというとそんな事はありもはん!基本的には結婚する前よりも結婚した後の方が一緒に生活する期間は長いのです。お互いに「運命の人」にするのです。
まあ、ただ吉兵衛の場合・・・
「何十年も楽しか!」
若干「運命の人にし過ぎてしまった!?」かも・・・?吉之助はこの言葉を複雑な想いもあったのではとか勘ぐってしまいますが・・・!
西郷どんの感想第7話「背中の母」いよいよ最後の段でごわす!
西郷どんの感想第7話~見送る側~
「これほど悲しい年はなかった」
結婚とは人生の慶事であります。しかし、この年は吉之助にとっては忘れえぬ悲しい年となってしまいました。ちょっと思うのですよね。私もいよいよ「見送る側」に差し掛かってきたかもと。
父母の死
吉兵衛は前夜に大いに惚気た後、あっさりと亡くなります。そして、母の満佐も祖父龍衛門と同じ死病「労咳」を患ってしまいます。
平均寿命が延びたとは言え、やはり人は老いていきます。段々と年を取れば当然見送る側になる事も増えていくのでしょう。
そして、それが一気に来る可能性は当然今でもあると思うんですよね。個人的には殆ど「見送った」経験はないのですけど、これが一気にやって来たら中々精神的なダメージは大きいんだろうなと感じます。あと、西郷どんの時代と異なり現代社会は「手続き」も大変です・・・。
難しいのは人間は一回しか死なないのであんまり「慣れる」という事がないことかな。
某、銀行屋さんが、
「皆さんは葬儀や相続を何度も経験する事はありませんが私は毎日やっていますから」
と、言っていましたが、さもありなんとおも思います。そう言えば、あまり考えた事はなかったなと・・・。
そんな事を感じながら、吉之助はしっかり最後の親孝行をして自分の背中で最期を看取るのを見ているとですね・・・。つまり、、、吉之助は孝行息子でもあったのだと。
「親孝行、したい時には、親はなし」
使い古された言葉ではありますが、なんだか身につまされるような年齢なってきたなと思うのであります。
以上、なんこ作戦失敗!?西郷どんの感想第7話「背中の母」でございます。
今宵は此処までに致します。