日本人キリシタンのロレンソ了斎について。キリシタンがフューチャーされる戦国物では必ず登場しますね!ルイス・フロイス、オルガンチノと同時代に活躍した日本人キリシタン。その弁舌は生粋のイエズス会員達も一目置いたとか。

ロレンソ、ザビエルに出会って運命変わる

生れは1526年。肥前の白石(現在の長崎県平戸)の生まれ。眼が不自由だったため、いわゆる琵琶法師として生計を立てていたといいます。




1551年にザビエル先生のお話しに感銘を受けて改宗を決意!そのザビエルの手で洗礼を受けます。
以降、



ロレンソ



と名乗ります。




頭のよかった人みたいで、ザビエルが帰国後もキリスト教の布教活動に尽力。当時、畿内と幕府の事実上の支配者だった三好長慶とも面会。布教活動の許可を得ていますね。




同時期にキリスト教に好意的ではなかった松永久秀との面会を同僚のヴィエラに代わり訪問したり、そこで行われた宗門との議論で相手を論破したりと活躍。この理路整然とした議論に感銘を受けた高山右近の父友照は、キリスト教に改宗したと言われていますね。その後も反キリシタンの論客日蓮宗の僧朝山日乗と議論を行っています。




1587年に秀吉によるバテレン追放令を受けて九州へと移り1592年に長崎で死去。




このロレンソのような人物は布教活動になくてはならない人物ですね。現在でもそうなんですが日本のキリスト教徒というのは、全人口の1%程度と言われています。




秀吉政権下以降はキリシタンは禁教になりますが、一応、明治維新以降はキリスト教の布教は自由になります。日露戦争中でもニコライ堂は活動していましたからね。




それでも日本ではキリスト教は伸びません。お隣の韓国や中国ではそれなりの成果があるのになぜ?
(中国では一応、キリスト教の一派太平天国が19世紀に大活躍!)




それは当時、おそらく世界で最も視野の広かった、イエズス会修道士を持ってしても日本人の心情を理解できなかったからだと思います。




相手の事(日本人のこと)が分からなければ、宗教活動なんかはできませんからね。

スポンサードリンク



イエズス会員と日本文化の橋渡し

そこでロレンソ。
ロレンソは琵琶法師として日本の神話や伝承にも詳しく、また、それを言語化して伝える事が得意。いわば、イエズス会士達に日本の文化を伝える重要なマーケッターだったんですね。




まあ、それでも修道士にまでにしかなっていませんが。前に紹介した遠藤周作の「反逆」ではバテレンに改宗しても司祭にはなれない(せいぜい修道士まで)ので武士として頑張りたいといった少年が出てきますね。




日本の歴史上(信教の自由がある現代、2014年まで含めて)で見ても、あれほどキリスト教が流行ったのはあの時期だけでしょうね。




それほど日本人の持つ世界観と宗教観はイエズス会士からは分かり難かったようです。




この辺りは山本七平(イザヤベンダサン名義)の日本人とユダヤ人に詳しいですね。






ここで1つ事例を・・・。




イエズス会の人が仏像に祈っている農夫に告げます。

イエズス会士。
「オーMr.ノーフ!貴方ガ!祈ッテイルソノ像ニ神ハイマセン!」
(ドヤ顔!!)

農夫
「・・・・はい。そうですね」

イエズス会士
「オーノー!デハ何故貴方ハ祈ルデスカ?!」

農夫
「神はどこにでもいますから(八百万神)」

イエズス会士
「貴方ノ言ッテイル事意味分カリマセン!説明シテクダサイ!」




ロレンソはその「説明」を分かりやすくイエズス会士に伝えたのではないでしょうか。




以上、イエズス会の最強マーケッターロレンソ了斎について。

大河姫

今宵は此処までに致します。