伊集院須賀。西郷の最初の妻となる女性で勿論実在しています。須賀の父親は後に明治維新後に内務官僚を務めた兼善、そして弟に貴族院議員等と勤めた兼寛がおります。別名伊集院俊子(敏子)とも。翔ぶが如くでは「俊」でしたね。伊集院須賀と西郷の結婚と離婚の理由等について。

西郷と須賀の結婚前後

伊集院須賀は天保3年(1832年)の産まれてと言われます。吉之助が文政10年(1828年)ですので4歳差ですね。二人は嘉永5年(1852年)に結婚しています。二人の結婚生活はどのようなものだったのでしょうか。

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西郷家の状況

西郷家は確かに「貧しい」状況だったと言われます。では、突出して他の城下士と比べて「収入」が低かったかというと決してそんな事はないと思います。しかし・・・。家族が多かった。吉之助と須賀が結婚した時は11人家族。



  • 祖父:龍右衛門
  • 祖母:きみ
  • 父親:吉兵衛
  • 母親:満佐
  • 長男:吉之助
  • 次男:吉二郎
  • 三男:信吾(従道)
  • 四男:小兵衛
  • 長女:琴
  • 次女:鷹
  • 三女:安


お隣さんの大久保家と比べてみます。



  • 父親:次右衛門
  • 母親:ふく
  • 長男:正助
  • 長女:ナカ
  • 次女:きち
  • 三女:すま
  • 四女:みね


ですね。
この頃は次右衛門は俊寛よろしく鬼界ヶ島へと遠島中で正助もそれに連座して謹慎中のためかなり生活は苦しかったと思います。ただ、嘉永6年(1853年)5月に正助が仕事に復帰。さらに、父次右衛門も翌年安政元年(1854年)には鬼界ヶ島から帰参します。そうなると二人の稼ぎで一家を養えるようになります。




一方の西郷吉之助。



「おいはこん年ほど悲しい年はなかったでごわす!」
翔ぶが如く第3話での吉之助の台詞


嘉永5年(1852年)に須賀を迎えるのですがその年の7月に祖父の龍右衛門、そして9月には父吉兵衛、11月には母満佐を相次いで失います。「親の決めた」「政略結婚」といった面もあったとは思いますが、今も昔も「結婚は人生の慶事」だと思います。その「想い出」を振り返る時に「祖父と両親を失った辛い年」として思い出さねばならないのは、須賀としては(勿論、吉之助にとっても)辛い結婚生活開始です。




そして、「天寿」といってもよい龍右衛門はともかく(勿論、悲しい事ですが)奥向きの事を仕切っている母の満佐、そして一家の大黒柱であった「吉兵衛」の死は西郷家の台所事情に大きな影を落とします。



  • 祖母:きみ
  • 長男:吉之助
  • 妻:須賀
  • 次男:吉二郎
  • 三男:信吾(従道)
  • 四男:小兵衛
  • 次女:鷹
  • 三女:安


長女の琴は嫁にいきますが、妻須賀を迎えた西郷家は吉之助1人で育ち盛りの弟・妹達を、たった一人で支えていかなくてはならなくなります。吉兵衛の生前は二人の禄高で11人を養っていましたが、吉之助(後に吉二郎も出仕するようになりますが)の禄だけで一家8人を支えなければなりません。




西郷家の台所事情はかなり苦しかった事は間違いありません。



伊集院須賀に関して「西郷どん」では城下士ではあるものの家格は上という形で紹介されます。「そこそこお嬢様」であったので貧乏に耐えられなかったというようなお話しもあるのですが、私は「西郷家が少々貧し過ぎた」のではないかなと思います。



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西郷と須賀、離縁の理由

大河ドラマ「西郷どん」では吉之助が江戸へと向かう前に離縁となっているようですが実際は吉之助が江戸へ向かった後の離縁です。ただ「円満な離縁」だったと言われています。というのは、須賀の弟兼寛は後に久光の吉之助等「尊王派の粛清」に対して、吉之助の弟信吾(従道)などとも同心し寺田屋事件に連座しています。維新後も関係が悪かったような兆しはありません。

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翔ぶが如くと西郷どん

「西郷どん」では須賀を演じるのは橋本愛さんで吉之助の将来のために「身を引く」といったような役どころのようです。
(因みに、林真理子氏の原作では「痘痕が目立つ(不器量)」という扱いでした・・・!)




翔ぶが如くでは南果歩さんが演じており、吉之助は美しい俊(翔ぶが如くでは須賀ではなく俊という名前)を見初めている様子も描かれています。




結婚後は幼い妹・弟達が多くて夫婦生活もままならないことを心配した、正助と吉二郎が気を使って妹・弟達を大久保家や琴の嫁ぎ先に一斉に遊びに行かせる場面等が描かれ仲睦まじい様子でした。




そして、その俊との別れはかなり悲しいものでした。俊は西郷との間に子供が出来るのですが、



「去年3人見送ったが、新しい命を迎えるのは嬉しか!」



と、非常に喜びます。
貧しい西郷家の様子を知っていて若干気兼ねする俊(須賀)にそういう吉之助の優しさ。ただ、吉之助が江戸へと出仕している間に流産をしてしまい、流産後の肥立ちも悪く、ただでさえ貧しい西郷家にこれ以上迷惑はかけられないと吉之助には内密に身を引く事に・・・。



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実際は貧しい西郷家を助けるため?

勿論、須賀が西郷の子供を宿したことがあったといった記録は残ってはいませんが、前述の通り「貧しい西郷家」しかも夫はいつ戻るか分からない西郷家にやっかいになるよりは、伊集院家に引き取った方が西郷家にも、須賀(俊)にも良いと考えての離縁は説得力のある話だと思います。




伊集院家と西郷家の関係が悪くなっていないのは、



「娘、須賀に恥をかかせても西郷家の事を考えてくれた」



と、西郷家側は考えたのではないでしょうか。最後に、須賀が西郷と別れた後にどのような人生を送ったのかは知られていませんが、その後は穏やかで幸せな人生を送っていたと信じたいですね。




以上、「須賀、西郷の最初の妻と別れた理由は?」でございます。

今宵は此処までに致します。

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