尼子勝久。かつては西国11ヶ国の太守として君臨した尼子家。毛利元就が家督を継承した頃はこの尼子常久大内義興が西国の覇権を争っていました。しかし、両国とも毛利元就の知某に飲まれる事に。しかし、尼子勝久の悲劇はその遥か前から始まっていた。

尼子家の悲劇!新宮党滅亡

尼子家は戦国後期にはすっかり力を失いますが尼子勝久の曽祖父経久の時代には中国地方11カ国を領有しておりました。

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尼子全盛期

11ヶ国の太守とは南北朝時代に、



「六分の一殿」
(日本66州の1/6を領有しているということ)



と言われた山名家に匹敵します。
その山名家の山名宗全入道はは応仁・文明の乱においては西軍の総大将となっていますね。勿論、その11ヶ国の中には名目上の領土もあり11カ国を実質支配とまではいっていませんが、1539年には龍野城(大河ドラマ軍師官兵衛では少年万吉とおたつも薬草取りに行っていた・・・)まで攻め込みこれを奪取しています。




大河姫

大河ドラマ毛利元就では尼子経久を緒形拳が演じていた。めちゃくちゃカッコよかった。大内義興は細川俊之だったのだけどこの二人の大物感は凄かった。

尼子経久から晴久へ

尼子経久の嫡男(晴久の父)は1518年に31歳で流れ矢討死。これが尼子全盛期の陰りの始まりだったのかもしれません。家督は嫡孫の晴久が継ぎます。経久は戦国期にしてはかなりの長命で晴久を補佐しますが経久死後、毛利元就相手によくこれを防ぎますがじわじわと勢力を削られていきます。




特に、尼子家の武力の中心であった「尼子新宮党」を率いる、叔父の国久と国久の子誠久を毛利の調略にはまり(諸説あり)滅ぼしてしまい勢力を大きく落としてしまいます。




そして何を隠そう、この滅ぼされた誠久こそ勝久の父にあたるのです。親族は皆殺しの憂き目にあいますが勝久は僧籍に入ることを条件に許されます。




これがまた数奇な運命へと勝久を誘います。

尼子勝久の悲劇、いや喜劇?

尼子晴久の時代まではなんとか毛利元就とも伍していますが晴久の死後急速にその勢力を弱める事に。

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尼子滅亡

尼子晴久は「11ヶ国太守」と言われた経久にはやや及ばないものの「八カ国守護」と言われる勢力を維持します。




しかし、永禄4年(1561年)病没。その後を尼子義久が継ぎます。その後、毛利の攻勢に押され1566年難攻不落と言われた出雲国月山富田城は毛利の兵糧攻めにあいつに開城。尼子家は滅亡します。




ただ、毛利元就は当主義久とその一族は殺されることなく安芸円明寺へ幽閉。実は尼子宗家の末裔は脈々と現代まで続いているそうです。

勝久の喜劇は喜劇か?

一方、国久-誠久-勝久と続いていた新宮党の末裔尼子勝久。その滅ぼされた尼子宗家の遺臣山中幸盛や立原久綱に担ぎ出され還俗。一時は上月城をに尼子の旗を立てますが毛利の猛攻の前に勝久は自害します。




自らの一族を滅ぼした遺臣に担がれて戦乱に舞い戻った尼子勝久。結局生き残ったのは敗北を選択した方というのは皮肉ですね。




山中鹿助が、



「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」



と、三日月に祈らなければ勝久もまた、僧籍にある者として天寿を全う出来たのではないかと思います。




最後に余談ですが、大河ドラマ秀吉ではそのような事情も知っていたのか?古谷一行演じる竹中半兵衛が、



「尼子を見捨ててはいけない!」



と、撤退する秀吉に難色をしめしていました。因みに、伊武雅刀演じる黒田官兵衛は、



「しょうがないじゃん?負けなんだから」



ドライに考えていましたね。この事件から「日輪の子」と言われた秀吉に「昏さ」が出てきておりました。大河ドラマ秀吉の後編!?とも言える軍師官兵衛では官兵衛も秀吉も、



「尼子を見捨てたくない」



と、言っておりましたが、一方で半兵衛はそれを「悲劇」と分かりながらも受け入れておりました。この辺りに違いもまた面白いとですね。




以上「尼子勝久は山中鹿助に利用された?悲劇の発端は新宮党事件」でございます。

大河姫

今宵は此処までに致します。

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