おんな城主直虎の感想第39話「虎松の野望」でございます。月日の流れるのは早い物。ついに虎松が大人になってしまいます。しかし、好青年な外面とは裏腹なに内面は・・・?おんな城主直虎の感想第39話始めます。亥之助将来苦労しそう。あ、今週は六左が苦労しています・・・!

直虎感想39話「虎松帰る」

虎松が6年振りに帰ってきます。なんか直親が帰ってきた時を思い出しますね。一見、大人しそうに見えますが・・・?

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三代目で花咲く!?

養父の松下源太郎にも注意されておりましたが、虎松には「才気奔った」ところがあるようです。・・・直親がおとわを死んだ事にしようとした策を考えた事を思い出します。




今回その「才気」を如何なく発揮!しかも、南渓和尚も感心し、小豆狸を唸らせる。



詰めが甘かった父直親。


そして・・・。
言い難いけど・・・


全部甘かった祖父直満。



大恩ある松下の顔を潰さずに井伊を名乗れるように家康を動かす。



「将を射んとする者はまず馬を射よ」



家康(将)を動かすには愛妻の瀬名(馬)を動かす!
そして、瀬名を動かすに選んだのは・・・!



「大叔父上(南渓)!これを岡崎の奥方様に!」



まあ、結果的に虎松は今週は最後、小姓から草履番にされてしまいます。



「儂は15じゃぞ!大人がよってたかって!」



と、怒っていましたけど・・・。




なら、子供扱いしてほしければ、
子供らしくせいと言う事でしょうね・・・!

六左が心配

さて、今回の作戦。六左衛門も知ってしまいます。六左衛門は隠し事が出来ないのです。



「六左衛門殿!何か知っておいでじゃな!?」



松下常慶に迫られる六左衛門・・・。




思えば六左衛門は胃の痛くなる役回りなのかもしれません。南渓和尚も亥之助も平然としていますからね。




最終回まで彼のメンタルは持つのでしょうか?




おんな城主直虎の感想第39話「虎松の野望」はまだまだ続きます。

直虎感想39話「南渓のプロデュース力」

今宵感じたのは南渓和尚のプロデュース力が未だ健在であるという事です。ただ、あの「好々爺然」とした笑顔に騙されそうになりますが、改めて「冷徹」な博打打であるという事でございます。

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虎松の野望プロジェクト開始

「虎松は本当に何も言っていなかったか?」

「もうお忘れになっておるのでは?」
(忘れていてくれ頼む・・・)



かつて、直虎が「井伊家最後の日」を虎松に伝えた時。そう、南渓和尚は自らのがその才覚に惚れこみプロデュースしてきた、「おんな城主直虎プロジェクト」を終わらせたあの日。



「井伊を復活させるにはどうしたら良いか考えるのじゃ。」



某AKなんちゃらの次は坂道シリーズではございませんが、直虎を解放すると次に目を付けたのは虎松!
布石は既に打たれていた。




そして、5年前の布石は最高のカタチで帰って来ます。



「大叔父上、この書状を・・・」




それは、瀬名に充てた手紙だったのですが、それを瀬名にとっては叔父にあたる南渓に託す!




これは想像ですが、南渓和尚自身も「井伊家復活の腹案」は持っていたはず。きっと、虎松の持ってきた「答案用紙は100点満点」だったのではないでしょうか?




岡崎にお出かけになるご様子がウキウキが隠せておりませぬ。

人の心が見え過ぎる

直虎には流石にあまりに重荷を背負わせた事を後悔しているくだりがありましたね。



「次郎は自ら選んできた。」

「いや、選ばせてきたのか。」



南渓和尚は人の心が見える。なので、何処を突けば動くのかが分かるんでしょうね。ただ、それは時にその当人の心をえぐります。一番最初に南渓和尚の力が発揮されたのは、第3話で妹の佐名を「利用した時」でしょうかね。



※関連記事:→おとわの愛らしさを利用する兄南渓


そして今回は虎松。
南渓和尚自身も「確信」があった訳ではないと思うのですよね。




ただ、虎松に「光るモノ」を感じてプロデュースしたくなった。だから、布石を打っておき、それが花開く。これはある意味では「博打」です。しかも、結果が出るまでは長い長い期間かかる博打。




この人の気持ちを見抜く洞察力と決して結果を急がない胆力




いや、本当に直満さんと御兄弟だったのでしょうか・・・?




おんな城主直虎の感想第39話「虎松の野望」もいよいよ最後の巻でございます。

直虎感想39話「束の間平和」

さて、戦国最強の我が子晴信は先週憑り殺されてしまいました。しかし、晴信が死んだ事で武田の軍勢が消えた訳ではございませぬ。

攻防激化

武田家の領国が最大となったのは(西上途中は除く)はこの天正2年の事でございます。我が孫、勝頼は晴信も落とせなかった遠江の拠点高天神城を掌中に収めております。ここで、三方ヶ原の戦い以降の遠江情勢を簡単にご案内を申し上げます。




元亀4年(1573年)1月に東三河へと侵攻致しましたがついにここで氏真殿が召喚した寿桂尼様に憑り殺されてしまいます。我が武田勢は甲斐へと引き上げます。ここまでは、皆さまがご覧になった通りでございます。その後、徳川殿・織田殿は反撃に出ますが、この天正2年我が孫勝頼は反撃を開始。




信濃方面では木曽より織田領である東濃へ侵攻、明知城を奪取しております。そして、遠江では前述の高天神城を奪取。東遠江は我が武田領となりました。




また、高天神城落城後、天竜川を挟んで徳川殿と対陣。しかし、徳川殿は精々8千程度に対して、我が武田勢は2万を超えております。武田勢は浜松城下まで迫る事もあり、徳川勢は完全に守勢に立たされておりました。




つまり、遠江情勢は未だ、攻めるは武田、守るは徳川にございます。




徳川殿に鷹狩を楽しむ余裕などは本来はないのではないかと存じ上げます。

以上、おんな城主直虎の感想第39話「虎松の野望」でございます。




今宵は此処までに致します。

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