鎌倉殿の13人あらすじと感想第11話「許されざる嘘」。今宵も多くの方が鬼籍に入られました。爺様、九朗、義円、そして清盛様。畳の上で亡くなったのは清盛様だけ。爺様と九朗祐清は「迷信」に殺された。因みに、清盛様が一番嫌ったのが迷信でございます。鎌倉殿の13人第11話

鎌倉殿の13人あらすじ第11話「許されざる嘘」

挙兵の年の暮れ。
頼朝は力を蓄えている。
打倒平家の旗の下、
鎌倉に集う新たな面々。
真に頼れるのは誰だ。


「私は反対です!」


義時が八重に想いを寄せている。



頼朝はそれを知って早速その仲介に動いた。姉の政子は良い顔をしない。


「八重にも幸せになって欲しい」

「小四郎なら儂も安心」


しかし、政子は義時にはしかるべき相手を自分がみつけるつもりであると譲らない。勿論、頼朝と八重の仲に不信感もある。



この件は意外な形で決着が付く。


「お断りします(キッパリ)」


八重は頼朝の仲立ちがあっても明確に義時との縁談を拒絶するのであった。


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→鎌倉殿の13人キャスト表

鎌倉殿の13人あらすじ第11話上巻「鎌倉殿爆誕」

義時は泣いていた。



あそこまでハッキリと拒絶されては諦めるほかない。



ところが。


「振られてからが本当の勝負(笑)」


義時が八重に振られ、諦めたと聞いて笑っているのだ。友(義時)の女に手は出さないが、これからは自由にやらせてもらうと堂々宣言。



義時も慌てて自分も諦めていないと食い下がるが、義村はそれを高笑いでいなすのであった。


鎌倉御所


頼朝の為の御所が落成した。



「鎌倉殿の奥方」として政子も御所へと入る。時政は娘政子の晴れ姿を喜ぶが、時政の後妻りくは少々複雑な表情である。



また、石橋山の戦いから始まった戦の論功行賞も行われる。



頼朝はまず、義時に案を尋ねる。


「それは佐殿に・・・」

「お前の意見が聞きたいのだ」


義時は頼朝の信頼が嬉しい。先日の八重の件を振り払うかのように職務に奔走する。



義時の出した論功行賞案は頼朝の意向にも沿っていた。ただ、一点を除いて。


「お前の名前がないではないか?」


「いや、私は・・・」


「儂はお前を最も頼りと思っているのだぞ?」

「そうじゃ、時政が望んでいた土地があったな」


頼朝の粋な計らいで義時は時政が望んでいた江間の土地を与えられる。勿論、息子の義時になら時政も異論は無かった。



また、安房の地で、


「侍所別当」


を望み、戦に勝ったら必ずと約された和田義盛は本当に「侍所別当」に任命された。


「儂は一度言った事は必ず守る」


もっとも、義盛の方が今度は恐縮している。そもそも、いったい何をするのか分からないのだ。


「分からないで望んだのか(苦笑)」


義時からその仕事、戦となればその段取りをする、といった内容を説明され義盛は引き受ける。勿論、頼朝も義時も義盛一人には少々荷が重いことも分かっている。


「適任の者がおります」


石橋山で頼朝を見逃した男。



梶原景時。



義時は頼朝に景時を推挙する。景時は勿論、頼朝にも異論は無かった。



治承4年12月28日。



源頼朝は伊豆の佐殿から鎌倉殿となった。名実共に、坂東武者達の棟梁となる。



同じ日。



平清盛の命を受けた平重衡らの軍勢が奈良東大寺大仏殿を焼き払った。

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鎌倉殿の13人あらすじ第11話中巻「兄と弟」

明けて、治承5年正月。



昨年の戦乱が嘘のように鎌倉では穏やかな日々が流れていた。





時政は後妻りくとの間に女児が誕生し、初孫かのように可愛がっていた。



頼朝の弟で一番早く鎌倉へやってきた全成は実衣に気があるようで、度々彼女の元を訪ねていた。最も、実衣はその来訪を快く受け入れるものの、全成の気持ちには気付いていない様子である。



政子も「鎌倉殿の御台所」としての威厳が出てきたように見える。継母のりくはそれに複雑な気持ちもあるようだが。



また、範頼、義経、全成に続いて鎌倉へやってきた義円がその文武両道の才覚を発揮している。政子が主催した歌会始では見事な和歌を詠み、また、弓の腕前もかなりのものである。そして、その性格も穏やかで兄想いであった。



頼朝と義時は義円の才覚と穏やかな人となりに将来が楽しみだと目を細める。



人一倍「そういうこと」には敏感な義経はそれを複雑な、いや、もはや陰険な眼差しで睨み付けいる。





鎌倉では表面上穏やかな日々であったが、都では大きな動きが起こる。


京、清盛の館


治承5年(1181年)閏2月4日。





武士として初めて太政大臣に任じられ「平氏政権」を成立させた平清盛が亡くなる。



享年64歳。



清盛の死は鎌倉へも伝わる。



父義朝の無念を晴らす機会は永遠に失われた頼朝の心中は複雑なものであった。


京、後白河御所


一方、長きに渡り清盛と時には結び時には敵対してきた後白河院。





清盛の死をもって平氏一門は事実上政権を返上。



ただし。


「頼朝討伐の院宣を賜りたく」


清盛の遺言。


「頼朝の首を我が墓前に供えよ」


この言葉が平氏一門を滅亡へと導くことになる。



まだ、源平の争いは序章に過ぎないのだ。


鎌倉御所


源氏にも色々ある。



頼朝は坂東武者に担がれて揺るぎない一勢力を築いたが、清盛の死を期に今こそ都へ攻め上るべきと説くため鎌倉を再び訪れる者があった。


「叔父上が?鎌倉殿は多忙であると伝えろ」


頼朝は行家が苦手である。



適当あしらってお帰り頂くようにと命じ、頼朝は行長とは会わず、対応を義時と安達盛長に任せる。


「兵を二千ほど貸して欲しい」

「ですから、飢饉もあり今は難しい」


行家は「鎌倉」の対応に憤慨する。このまま手ぶらでは帰れないと、続いて甥達の説得にあたる。


「共に、都で平家と戦おう!」


範頼、全成、義経、そして義円。



「甥」といっても皆会うのは初めてである。



義円を除いて。



義経などはあからさまに行家の態度が気に入らない様子であった。都に滞在中行家に世話になった義円ではあるが、流石に「鎌倉殿」の命なく勝手には動けないと言う。



その日の夜。



義円は義経に行家のことを相談する。


「叔父上(行家)に申し訳ないことをした」

「兄上は一緒に行かれた方が良いのではないですか?」

「?」


義経は義円がこのまま鎌倉にいても将来はない、また、頼朝もそれを望んでいるのではと言う。


「遅れて鎌倉に来たのが良くなかった」

「御台様の前で歌を詠んだのが良くなかった」

「鎌倉殿は「でしゃばる」のを非常に嫌う」


結局。



義経の意見を容れて義円は行家と共に西国へと向う決意をする。



翌朝。



義円は自身の兄頼朝への想いをしたためた書状を義経に託し行家と共に鎌倉を立つ。



義経は。



義円の姿が見えなくなるとその手紙を散り散りに破り捨て放り投げるのであった。



程なく鎌倉では義円の姿がない事で騒ぎとなる。行家の姿も無いのでおそらく共に西国へ向ったのではとの話にはなるが。


「うーむ。儂になんの断りもなくとは考えられぬ」

「九朗、何か聞いておらぬか?」


「何も・・・」


しかし。



義時は義円の頼朝充ての書状を広げる。



散り散りになっていたのがつなぎ合わせれている。



義経はあからさまに不満な表情を見せる。


「其方達を見ていた者があったのじゃ」





梶原景時が今朝方の二人のやり取りを見ており、義経が破いた書状も集めて復元していたのだ。


「九朗、それほど義円が邪魔か?」

「しばし、謹慎しておれ!」


義円はその後、行家と共に尾張で挙兵。



しかし、墨俣川河畔にて平重衡らの平氏軍と戦い敗北。行家は辛くも脱出するものの、義円は討死する。



享年27歳。

鎌倉殿の13人あらすじ第11話下巻「怨霊」

政子が懐妊する。



今度こそ男児をと頼朝も北条一門も大いに湧く。



もっとも、りくは若干複雑な気持ちもあるようだ。





時政がそれを宥めている。



また「政子の懐妊」は思わぬ副作用をもたらす。


「親が徳を積むと元気な男子が産まれる」


頼朝は祈祷を得意とする全成の勧めもあり、昨年の戦で捕らえた者の恩赦をすすめる。その中には三浦に預けられていた伊東祐親、祐清父子も含まれていた。八重は再び一緒に暮らせると喜ぶ。



また、祐親も八重が北条家に侍女として仕えていことについて、


「好きにいたせ」


と、穏やかな表情を見せていた。



ところが。


「千鶴丸様の怨霊を鎮めねば、産まれて来る子は短命」

「千鶴丸様を殺めた者が生きていては・・・」





伊東祐親、祐清父子が解放された日。



二人を懐かしい顔が訪れる。


「おお!善治!生きておったか?(笑)」


その後、義時の元に二人が自刃したという報せがもたらされる。



義時は頼朝に抗議する。


「一度言った事は必ず守るのではないのですか!?」


「儂は知らん」

「祐親は意地を通したのだ」


と、取り合わなかった。

鎌倉殿の13人感想第11話「許されざる嘘」

鎌倉殿の13人感想第11話「許されざる嘘」。義経の「許されざる嘘」は露見しました。能吏、梶原景時が見ていたから。頼朝の「許されざる嘘」は事実上頼朝の指示であることは誰の目にも明らかであるものの、こちらは能吏梶原景時の差配で藪の中。



そして、平安のアサシン善治が次の仕官先を見つけた。・・・これから益々のご活躍が期待できそうですね(震え声)。



冒頭でも少し触れましたが爺様は「迷信」に殺されたようなものです。頼朝はやはり「西の人」であり、政治的才覚はともかく感性は「古い」、、、いや、清盛様の方が先進的過ぎたか?

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鎌倉殿の13人の感想第11話「清盛の限界と役割」




まったくハズりませんでしたがw。



清盛は当時としてはかなり先進的な感性を持った人物であります。因みに、後白河院もやはり感性は先進的で海外の文物にも興味を示し清盛とも馬が合ったと言われます。



その辺りは是非、平清盛をご覧いただきたく。


→平清盛と後白河院、雅仁親王の出会い


平家は清盛の父忠盛の代から宋との交易に目を付けており、清盛の代になると院権力と結び莫大な富を得ます。その富と軍事力を両輪に「平氏政権」と言われる史上初の武家政権を樹立したのですが・・・。



清盛と言えども時代や場所を完全に超越する事は出来なかった。



清盛は武士とは言え京都周辺に勢力を持つ伊勢平氏の出身です。帝、院、摂関家、寺社といった日本の中枢権力機構をよく見てきたはずです。



政治権力を得るために行った事は結果的には意外と保守的で、基本的なやり方は藤原摂関家と同じなんですよね。公家公卿のお作法を学び、そのお作法に則り累進し権力の頂点へと登り詰めた。



その方が早かったから。



清盛の類まれなる才覚をもってすれば簡単だったから。



一方で頼朝。



頼朝は本来は保守的な人物であるものの、権力の階段を登るためには「渋々」公家公卿が連綿と繰り返してきたお作法とは異なる戦い方をせざる得なかった。



朝廷と結び帝の外戚となってといった方法を取りたくても「都と鎌倉の距離」がそれを邪魔します。また、おそらく朝廷内で繰り広げられるお作法を学ぶ時間も方法も無かった。頼朝、後に鎌倉幕府に仕えた京に出自を持つ官僚が「公家公卿のお作法」を嫌った事も影響しているかも。



結果的に世界史的に見ても政治権力としては非常に先進的な「鎌倉幕府」を保守的な頼朝が開くというのは歴史の皮肉を感じます。



いや、違う。



これは役割



公家公卿のお作法を公家公卿よりも鮮やかにキメて武士の世を開くのが清盛の役割。武士のお作法で武士の世を創る嚆矢となるのが頼朝の役割と言うことかな。



平清盛無くして、武士の世はやはり来なかったのです。

鎌倉殿の13人の感想第11話「兄弟」

義経の異常性が際立っておりましたね。



同母弟である義円の「弱み」に付け込み鎌倉から体よく追い出す。


「鎌倉へ来るのが遅かった」

「歌を詠んだのが良くなかった」


どちらも義円に刺さる内容でした。ま、若干義経の意図に気付けよとも思いましたが。



しかし、私が注目したいのはそこではありません。



運悪く?義経の行動は梶原景時に見られており、義経の悪巧みも露見します。



多少は気まずそうな雰囲気が出るかなと思いきや・・・。



全くない。



サイコパス感スゴ。



一昨年の麒麟がくるの信長公を彷彿という意見もチラホラ見えますが・・・。



超えていると思いますよ



「兄弟」ってやはり競争みたいな複雑な気持ちも・・・あるんでしょうかね。そう言えば信長公が最初に拗らせた理由は優秀(だと思っていた)な弟の存在でしたね。宗時義時兄弟は良い感じでしたけど。



特に同性の兄弟だと色々あるのかな?



兄弟は「兄妹」や「姉弟」の方が無難なようですな。

鎌倉殿の13人の感想第11話「爺様の最期」




憑き物が落ちた良い表情をしていた。



爺様に、八重に、義時に同情を禁じ得ない。



真っ当な人間、未来に希望を持たせてから殺すなんて。



さて、八重はいったいどういう感情になるのかな。



息子を父に殺され、父を夫(元)に殺される。それでも頼朝を愛しますか?
前半の「ラブコメ感」との落差ヨ・・・。



以上、鎌倉殿の13人のあらすじ感想第11話「許されざる嘘」でございます。
大河姫

今宵は此処までに致します。

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→鎌倉殿の13人あらすじ感想第12話「亀の前事件」