武田信玄(大河ドラマ)の感想第10話「国造り」。リアルタイムで見た時に最も印象に残っている回の一つでもあります。三条殿のあの名言、よく真似をしておりました。あと、後半で触れられる「小田井原の戦い」は武田信玄が決して「良い人」等ではなく、ある意味では目的のために手段を選ばない「冷徹な武将」であった事を如実に物語るお話でもあります。
いしいし(団子)
「いしいし」とは京ことばでお団子の事です。勿論この「武田信玄」で覚えました。
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思わせぶりな八重ドアップ
湖衣姫殿、というよりも、乳母のたき殿は「いしいし」を毒入りと見立てていました。湖衣姫殿は覚悟を決めて食そうとなさっていましたが、湖衣姫殿ご自身は、「まさかホントに毒入りではないよ・・・ね?」という感じだったと思います。
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しかし、たき殿はどうやら毒入りと「確信」していたようで。毒入りではないと分かるまでの場面が中々味わい深い表情でした。
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「姫様・・・(泣)」
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と、今生の別れのような切ない声を発した後の、
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「モグモグ(!)」
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が、面白かった。
お気持ちは分かります。前週は「いしいし」と「八重」のどアップで終了でしたからね。
三条殿の決め台詞
実は三条殿のシーンで何故か最も記憶に残っているのはこのシーンでした。晴信が部屋へ入ってきて勝ち誇ったように言いますよね。
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「湖衣はいしいしを毒入りと疑った。」
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と。
しかし、晴信は「疑われる」方にも問題があると言います。まあ、正直私は三条のお方が贔屓なんですけど。八重殿の表情を見ると疑う気持ちも分かる!でも、それに対して三条殿。
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「この三条、人に毒等を盛った事ございません!」
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出ました名言!
この台詞がこの大河ドラマ武田信玄で一番印象に残っているのですよね。そんなに重要なシーンでも台詞でもないのですが!
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リアルタイムでご覧になっていた方々は、私と同じ感想を持っている方も多いのではないかなと思います。はい。
裏方で生きていく
晴信は兎に角、湖衣姫殿が心配で積翠寺へ到着すると早速湖衣姫殿元へ行こうとします。
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「お待ち下さい!」
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山本勘助殿登場。
ここでよいことを言いますね。
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「湖衣姫様は裏方で生きていかねばならない。」
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これは正に「親の心境」とでも言うのでしょうか?まあ、最近は「逃げても良い」という風潮も弱冠ありますが、よほど酷い場合以外は多少苦しい事があっても、例えば「子供」は学校で生きていかなくてもいけませんからね。
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そこには有形無形の「学校のルール」みたいなものがあります。学校に限らず、所属するコミュニティ独特の「ルール」はよくあります。
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「村ルール」
「ローカルルール」
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というと昨今は結構批判的な論調で語られる事が多い気がします。確かに「命に係わるようなもの」は問題とは思うのですが「村のルール」も大事だと私は思うのですよね。
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「村」で生活している人から言わせれば「村のルール(それがたとえ世間様とはズレていても)」について住んでない奴にとやかく言われたくは無いような。だいたい、この「日の本」がそもそも「村」ですからね。敢えて、グローバルなんちゃらに合わせなくてもねぇ・・・?
家族
今回、久しぶりに武田一族が全員登場し、3人の息子もそろい踏みしましたね。ここで大井夫人が語った「信虎像」が中々印象的でした。
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京の都の信虎殿
歴史的にもこの頃(天文12年(1543年))京都を遊覧しています。
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「今川がいくら公家かぶれをした所でこの心は買えぬ」
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大井夫人は本来の信虎殿は「詩歌を愛する文人」であると評されていました。しかし「戦国」がそれを許さず、そして信虎殿はそれを受け入れて、自ら「戦の歌」を詠んだのだと。
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信虎殿の文化的な功績はあまり後の世には伝えられていませんが、大井夫人が語った通り晴信、信繁、そして信廉の文化的な功績は現在でも確認する事ができます。信虎殿にも確かにそのような素養があったのだと思います。
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そんな信虎殿からこそ、だんだんと本来の自分との間で「心」を病んでいかれたのかもしれないですね。そう考えると、皮肉なことに、晴信がその「運命」から解放したとも言えるかもしれませんね。
小田井原の戦い
かの有名な「小田井原の戦い」が少々ですが描かれましたね。この戦いは凄惨なものだったと伝わります。
関東管領上杉憲政
小田井原の戦いでは関東管領上杉憲政と「血で血を洗う戦い」と大井夫人が仰っていますが、実際には晴信が圧倒的に優位な戦いを進めております。「血で血を洗ってもらった」戦いとでも言いましょうか。
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この小田井原の戦いが起った天文16年(1547年)の前年は、かの有名な「川越夜戦」があり上杉憲政は日本史上に残る大敗を喫しています。
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さらに「小田井原の戦い」での敗北でその権威は地に落ちたと言えるでしょう。ここから、関東甲信越の「アンシャンレジーム」は崩壊し、武田、北条、新上杉(長尾)といった新勢力の戦いとなっていきます。
人の本性は悪!
武田信玄と言えば内政にも力を入れた武将であり、治水事業や甲州法度(今川仮名目録を参考にしたと伝わる)制定など実績もあります。ただし、決して「慈悲深い」国主でありませんでした。
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それが如実に現れているのがこの10話ですね。物語の中でも「ただ、降伏」させて城を奪えば良いのではなく、心から武田の軍勢を畏れるようにしなければならないと言っています。
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- 城を枕に討死(名誉の戦死)
- 落城前に自刃(名誉ある自死)
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は許さない。徹底的にこき下ろし畏れさせる。
結果として志賀城の前に「敵兵三千の首」を並べて威嚇した上で開城させて敵兵を悉く殺害しています。
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「人の本性は悪!人の本性は悪!!」
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と、自分に言い聞かせていましたね。
これは規模の大小はあるかもしれませんが信長にも通じると思います。まあ、基本的にドラマで描かれる信長はけっこうあっさりと決断していますが。
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因みにこの戦いの悲劇はまだ続きます。今回「金堀衆」を今井兵部が連れてきましたね。
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「千人で掘れば、一万両/年の金収入」
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その、捕らえられた男は「人夫」として過去な金山の現場動員され、女は「遊び女」として金山の遊郭に売られたと言われます。ちなみに、開城した志賀城が最初に直面した困難は「水」が出なくなった事なのですが、それは「金堀衆」百川数右衛門のような坑道を掘る者たちが井戸を絶ったためだったとか。
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金堀衆により命の水を絶たれ、金堀衆の命じる金山を掘らされる。なんとも皮肉な運命を感じますね。
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そうそう。この記事を書いている時、大河ドラマは「おんな城主直虎」です。前半は「今川の圧政(個人的には井伊家は自業自得と思いますが)」に苦しむ様が描かれるのですが、正直、晴信と比較しても義元殿は随分と「慈悲深い」太守様と思います。
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さて、今宵は此処迄に致します。
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