武田信玄第44話のあらすじです。北条氏康。信玄より6歳年上の氏康は信玄が国主となった天文10年国主となった。彼の祖父北条早雲は当時は無名の武士ながら武略一つで相模伊豆を掌中に納めた人物である。早雲の孫氏康も軍略に長けた名将であり、北条家の地位安泰のため外交にも手腕を発揮した。

武田・今川と三国同盟を成立させたのもその一つである。氏康は嫡男氏政に信玄の娘梅を正室として迎え、縁戚となり同盟を強化した。16歳で初陣を飾って以来、生涯戦に破れる事の無かった氏康は信玄にとって謙信・信長とは違った意味で好敵手であった。

武田信玄第44話上巻~越相同盟~

晴信は51歳となりました。遠く昔の事を夢見にる事が増えてきているのうでございます。一方、海津城では上杉の間者として送り込まれていたしのが、就寝中の高坂弾正を寝所で刺殺しようと刃を構えますが、刺す事が出来ずにおります。しのは、高坂殿暗殺を直江兼続殿より命じられておりました。

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越後にて

「信濃御出馬を何卒お願い申し上げたく・・・」



春日山城には松田康郷が使者として訪れていた。越後・相模は正式に盟約を結んでいた。盟約の内容はほぼ上杉輝虎の要望通りとなっており,北条氏康の七男が「上杉景虎」と名を改めて養子になっております。




しかし、上杉輝虎はかねてから信濃出陣の条件としていた、



「氏政と陣を同じくする事」



を、氏政が何故受け入れないのかを訝る。
松田康郷としては氏政は輝虎の出した条件を全て受け入れた上で盟約を結んでおりさらに、出陣の前に氏政が輝虎と陣を同じくするのは家臣達の手前もあり難しい旨を察して欲しいと言上されます。



「相分かった」



輝虎は出陣はするが、越中一向宗の動きもあり出陣は時期を見てと答えます。輝虎は出陣するつもりなどはないようでございました。

相模にて

「何故輝虎は信濃に兵を進めないのだ!」



相模小田原城では氏政の怒鳴り声が響いていた。戻った松田康郷は輝虎は氏政と陣を同じくしない限りは信濃出兵をするつもりがないようである事を報告します。



「関東管領などもはや何の意味もない!」

「あの頑固爺め・・・!」



そこへ北条氏康がやって来ます。氏康は体調を崩しており、表へやって来るのは久しぶりです。松田憲秀殿は思わず「お館様」と氏康殿を呼んでしまいます。



「松田?ボケたか?お館様は氏政であろ?」

「あ!いや・・・。これはご無礼を申し上げましたご隠居様」

「誰が隠居じゃ!また国主へ戻ってもよいのだぞ・・・」



氏康殿は輝虎殿が言を左右に信濃へと出兵していない事で揉めているのであろうと言います。



「陣を同じくすれば良い」



氏政は反発しますが、氏康は上杉勢の2倍、3倍の軍を率いて陣に入れば輝虎も何も出来ないと氏政を諭す。そして、その上で輝虎が相模の役に立たないのであれば、斬ってしまえばよいとも告げる。



「近くに行かねば、首は討てない」



氏政は盟約相手を斬るのは信義にもとると反論するが、これは信義の話ではなく覚悟の話であると。




部屋を後にした氏康は密かに松田康郷に信玄の元へ向かうように命じます。氏政の器量では輝虎を操る事は難しい。




信玄は都を目指しており、戦が無くなるのは歓迎のはずじゃと説く。松田康郷は氏政が国主であるがと戸惑いますが、



「じゃから氏政には内密でと言っている」

「儂が死んでからでは話が通じなくなる」



氏康殿は晴信との再度の盟約を最期の仕事としようとしていた。

武田信玄第44話中巻~海津城動乱~

晴信は元亀2年(1571年)年初めて三河にも兵を進める。都へ上る前の小手調べでございます。一方、密かに「しの」を海津城へ潜り込ませていた直江殿、大村景時殿両名は、しのを使い高坂殿の暗殺、そしてその機に乗じて海津城攻略を考えておりました。

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暗殺未遂

「海津城へ来て10年じゃ・・・」

「儂は其の方なしでは生きられない・・・」



高坂殿は寝所でしの殿に自分はもう疲れたのだと語ります。そして、しのと一緒に死にたいとも。一緒に死ぬことを了承したしのに自分も後からすぐに行くと言うと短刀を突き付ける。



「其の方はいったい何者じゃ?」



昨晩、高坂殿を刺そうとして果たせなかった事をに気付かれていました。しのは、自分はかつては上杉の乱波であったが、今は高坂殿を慕うただの女であると言います。高坂殿はしの越後へと戻るように言いますが、しのは高坂殿を殺さないと戻る事は出来ないので、いっそ殺して欲しと懇願します。



「その方を斬る事は出来ない!」



しかし、しのは自分から高坂殿が奪った短刀に身を預けて絶命します。そしてその機に乗じて越後の乱波が城内に火を放とうとします。山本勘一殿、平三・平五達は乱波を追跡し、途中海津城を落とすべく待機していた、大村景時殿率いる正規兵とも交戦します。




しかし、海津城への調略が失敗であった事を悟り越後勢は兵を退くのでした。

氏康の書状

甲斐には北条氏康殿から晴信に書状がもたらされます。内容は再度の盟約締結を願うものでございます。



「国主は氏政殿であるのに、ご隠居がそのような書状を・・・?」

「信廉、読んでみよ・・・」



晴信はその書状を信廉にも見せます。そして、氏康はもはや長くはない事を悟り、我が子の、相模の行末を見定めておきたいのであろうと言います。




晴信は氏康の申出を受け入れ入る旨返書をします。

武田信玄第44話下巻~氏康の挽歌~

この頃、信長殿は浅井・朝倉にお味方した比叡山焼き討ちを慣行し致します。僧侶と言わず、女子供と言わず3千人近くを殺したと聞くにお呼び、晴信は生き残った僧達と甲斐へ逃すように下知をするのでございます。いよいよ、都に向かって死煙が上がり始めております。

晴信の回答の後、松田康郷が晴信の元へと氏康の使者としてやって来ます。松田康郷殿はまず、会談の機会を設けてもらえたことを感謝する旨を言上致します。そして、国主である氏政殿はその事を存じてるのかを尋ねる晴信に答えます。



「越後との盟約はご隠居様の死をもって終わらせる」



松田康郷殿は氏康殿の言葉を伝えると晴信は委細承知と応えます。
そして。



「この武田信玄、有難き友を得られた事感謝致す」



そう氏康殿に伝えるように申し渡すのでございます。

氏康の遺言

小田原城ではいよいよ、北条氏康殿が死の床につかれておりました。枕元には氏政殿、そして松田憲秀殿がおります。



「氏政、よう聞け・・・儂の死を持って越後との盟約は終わる」



氏康殿は氏政殿に息子たちはいずれも晴信にとっては孫にあたること、また、氏政殿は「義信事件」を気にしていますが、自分はかつて武田信玄と直接話をしていると言います。



「別に鬼のような男ではなかったぞ」



そこへ、松田康郷殿が戻り、



「首尾は上場」



であったこと、そして、



「有難き友を得られた事感謝致す」



と、言っていた事を伝えます。氏政殿は誰と会っていたのか誰何しますが、氏康殿はただ「古い友」であると応じます。そして、氏政殿が氏康殿の遺言を承知したと言うと、



「良い子じゃ・・・」



と、涙を流します。




相模の将来を見定めた氏康殿は最後に海が見たいと海が見える高台へと連れて行かせます。そして、自分の生涯を心の中で問います。



「わが生涯は国の為、家の為、子孫の為にあった」

「野心を捨てて、日々恙なく生きる事に勤しみ」

「大酒を慎み、女色に溺れず、倹約を旨としてこの日を迎えた」

「なんたる慎ましい日々」

「一度は天下を望むべきであったか?」

「それももはや叶わぬ・・・」



そこで太刀を抜き、眼下の海へ太刀を投げ入れる。




我が子晴信が好敵手北条氏康殿はこうしてこの世を去りましてございます。56歳にございました。




次回からは我が子晴信は京の都を目指すことになります。悲しいお話しにございますればあまりお話しをしたくないのでございますが我が子の生涯語るには避けて通る事出来ませぬ。




今宵は此処までに致しとうございます。

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