武田信玄(大河ドラマ)のあらすじ第12話。例え銃弾が飛び交うとはなくても人間社会にはあらゆるところに戦いがあり、名もなき兵士達の姿がある。戦国時代、下級兵士達の殆どは農民であった。一度戦いが起きれは「寄親」「寄子」と言った制度で人数が割り当てられ戦場へと送られた。



食料は配給されず自分で用意するという過酷な条件ではあったが、税金と行政補助の免除が約束されていた。しかし、彼らは常に権力者の意のままに動いていたわけではない。味方に勝ち目がないと見るやいち早く敵前逃亡をし、あるいは逃げ帰っていた。下克上という時代を敏感に感じとっていたのである。戦国の世。それは戦いに明け暮れた武将たちの時代であり、その狭間でしたたかに生きた兵士たちの時代なのである。

武田信玄第12話上巻~子供達~

晴信にとっては初めての敗戦となり板垣、甘利を失った天文17年(1548年)2月「上田原の戦い」からはや1年が経過しております。

→武田信玄(大河ドラマ)の感想第12話「海の北条」

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病二人

「どうじゃ・・・?」



お抱え医師の立木仙元は晴信と湖衣姫の間の子、四朗の容態を診ております。立木仙元は当初は「風邪」かと思ったが、どうやらそうではなさそうだと言います。
湖衣姫は、



「父上の怨霊かもしれない」



と、晴信に漏らします。夢枕に父「諏訪頼重」が立ち、なぜ諏訪へ戻らないのかを咎めたと。晴信はもし頼重殿の怨霊ならば晴信を祟るはずで、頼重殿にとっても孫である四朗を祟るはずがないと言います。



「四朗を産んだ事を後悔しているのか?」



湖衣姫殿はそんなことは一切ないと言います。むしろ、四朗を授かったことで自分は諏訪と甲斐の橋渡しをする自覚が出来たと言います。晴信はそんな湖衣姫殿を抱きしめるのでした。




その頃、晴信と三条殿の間に生まれた次郎も調子を崩しておりました。三条殿は眠らない次郎に困っています。



「親方様!次郎の熱が下がりませぬ。そして寝たくないと・・・」



晴信は次郎の熱を測り、高い熱が出ている事を確認します。



「次郎。熱が高いぞ。さ、眠るのじゃ」



晴信の言葉にうなずく次郎。母である自分の言う事を聞かないと愚痴をこぼす三条殿。



「次郎は勝手気ままにございます。太郎は優しく気配りが出来ますが・・・」


晴信は大将は「優しければよいという訳ではないないのだから」と三条殿を嗜めるのでした。

太郎の様子

太郎は傅役の飯富虎昌の元で武術の鍛錬に励んでいます。



「えい!えい!えい!!」



しかし、まだまだ、虎昌に及ぶべくもありません。



「若殿!太刀を落してはなりません!太刀を落せば命がありません!」



武術の鍛錬の後は国主として必要な事を学びます。虎昌は国主には「武力」と「徳目」が必要であると説きます。



「仁・義・礼・智・信」



国主は右手に武力、左手に徳目を持たねばならず、その中でも特に「仁」は一番大切であると説く虎昌の言葉に太郎は頷きます。



「さて、本日の話はこの辺りにして、これから家臣の暮らしぶりをご覧に入れます!」



虎昌がこれから自分の屋敷へ太郎を連れていくというと、幼い太郎は嬉しそうに「うむ!」っと返事をします。飯富の屋敷へとやって来た太郎は物珍し気に辺りを見回します。



「明るい」

「はは!躑躅ヶ崎館と比べると狭いですからな!」



飯富は小さな屋敷なので影も出来ないのだと笑います。そこへ、飯富の妻、清がやって来ます。



「飯富に側室はおるのか?」

「いえ!妻一人にございます」

「何故じゃ?」



飯富は難しい顔をしながら話します。



「その事、まだ若殿に教えておりませなんだな」



飯富は太郎に側室は少しでも多くの男子をもうけるために必要であると話します。
しかし。



「母はいつも泣いておる。世継ぎの儂がいても側室は必要か?女子を泣かしても必要か?」

「はい。沢山の子供をつくる事も国主の勤めにございます」

「そちは国主たるもの五つの徳目を身に付けよと申した」

「仁とは慈愛の心と申した!」



飯富は答えます。



「慈愛の心とは家臣領民・・・」

「女子を泣かして何が慈愛か!!!仁とはなんぞや!国主たるものに不正義あってはならぬと教えたのはそちじゃ!」

「!?」

「側室並べ母を泣かせる父に正義があろうか!?」



飯富はただ、太郎の真っ直ぐな瞳の前に沈黙をするのでした。

武田信玄第12話中巻~思惑~

相模の北条氏康、越後の長尾景虎、駿河今川義元。晴信の周りでは其々の思惑が動いております。

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海は無限、己は有限




相模国の国主北条氏康殿は相模湾の砂浜で流鏑馬(やぶさめ)を楽しんでいました。見事に的を射抜くと地元民の歓待を受けています。



「これは私ら漁師の食するものゆえお口合いますか」

「構わん!うむ。美味い!その方らの方が余程美味い物を食べておるわ!」



氏康殿は上機嫌です。



「海は無限じゃ」

「はい!相模湾から上がる海の幸はまさしく無限!」



帯同していた家臣の言葉に顔色を曇らせます。



「儂は海の幸の事を申したわけではない」



氏康殿は全て「損得勘定」にしてしまうことに渋い表情で小言を言います。海の無限を見るにつき、己は有限であると感じるという。氏康殿にとってここが天下。そのうえに何を望もうかと。



「お館様に申し上げます!」



また、氏康殿の表情を曇らせる報告がもたらされます。富士山麓の相模・駿河国境で今川勢の動きがあると。



「義弟殿も中々やりおるな」

「義元め。この海を眺め海は有限、己は無限と思っているのであろうな」

美しき流れ




「この世にただ一人変わらぬお方は天子様じゃ」

「その下に将軍家、管領家、守護、そして守護代がおる」



越後の長尾景虎殿はこの「縦の流れ」が乱されている事に我慢がなりません。直江実綱殿は応仁の乱以降、足利将軍家の威光も陰り管領家がその職責を全うできずにおり、これははまた時代の流れでもあると言います。



「流れがなんじゃ!守護どもが私利私欲に走って不正義が横行しているだけじゃ!」



長尾景虎殿が特に許せないのは関東管領上杉憲正殿を上野平井城へ追った北条氏康殿。信濃で盗みを働く晴信よりも罪は重いと激昂されております。



「必ず成敗してやる」

武田北条の腹の内




「海を制する者が天下を制する」

「しかし、軍勢を舟で運ぶわけには参りませんぞ」



太原崇孚殿は京へ至るにはあくまで陸路であり、その道中に位置する尾張の下剋上、織田信秀(信長の父)は早めに始末しなければと言います。



「織田など道端に転がっている石ころ。太原、お主が行って始末して参れ(苦笑)」



今川義元殿にとって尾張の織田などはそもそも眼中にはありません。
ただ、寿桂尼様が続けます。



「京に上ったとして、後ろに控える武田北条が黙っておりますまい」

「母上、ご案じめさるな武田北条の考える事など手に取るように分かります」



頼元殿は北条の狙いは関東にあると言います。「伊勢」という名前から「北条」に姓を改めたのは鎌倉幕府にあやかるため、また、関東管領を放逐したのもその証左。北条氏康殿は天下には興味なく欲しいのは下野、上野、上総、下総。



「そして甲斐国」



そして、晴信が北、つまり信濃を目指すのはその先に海が欲しいからだと言います。駿河と相模の海が手に入らない以上北を目指すしかない。信濃を超えて越後へ達する。



「油断なく備えれば、甲斐相模に後顧の憂いはない」



また、信虎殿を預かった件は晴信には大きな貸し。
晴信は駿河を攻められない。

許す

「一言許すと書けばよいのじゃ」



信虎殿は京都に逗留しています。そして、京都へは今川ではなく、甲斐源氏の武田の御旗が掲げられるべきと言います。



「あの親不孝者を許そう」



信虎殿が独り言ていると。



「あーーーー!!もーまたじゃ!」

「どうしたのじゃ蘭?」

「来る日も来る日も年寄の独り言を聞く等地獄の苦しみじゃ!」



蘭殿と信虎様のいつもの痴話げんかにございます。



「儂の代わりに甲斐に行ってくれ!」



信虎殿の言葉に蘭殿の御機嫌はすこぶる良くなります。信虎殿は何やら晴信に大事な話を伝えるようにと言うのでした。

武田信玄第12話下巻~調伏~

上田原から1年。武田家重臣達は板垣殿、甘利殿を失った戦を思い出しています。陣馬奉行の原昌俊殿は未だに己を責め気に病んでいるようですが、重臣達みな原昌俊殿の所為ではないと落ち込みがちな晶俊殿を励まします。佐久では村上義清の意を受けて国衆達が動いております。

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調伏

医師の立木仙元が内密で甚三郎、そして源助の元を訪れます。湖衣姫と晴信の息子、四朗の病状に不信なものがあると言います。



「まだ、お館様にも申し上げていないのですが」



立木仙元が言うには夜うなされてうわ言を言う様子などは、何やら怨霊に取り付かれたか呪われているようでもあると言います。



「確証はあるのか?」

「確たる証拠はありませぬ」



甚三郎の問いかけに立木仙元は答えますが、過去に同じような症状を診た経験があり、その者はかつて人を殺めており怨霊に取り付かれていたのだと。



立木仙元が屋敷を後にすると源助はふと思い出します。



「竜渓という修験道が八重殿を尋ねて来ておりました」



晴信のお気持ちは湖衣姫に傾いております。もし、四朗が長じて家督を継ぐような事があれば?甚三郎は調伏をしている可能性を考え竜渓を探し出す事にします。



「この先に修験道が修行するお堂があると」



源助の情報によりついに竜渓を発見し調伏の証拠を押さえると斬り殺します。

石和甚三郎

源助と甚三郎は晴信にその事を報告します。



「2人ともよくやった!調伏とは浅はかな!」



晴信はすぐさま奥へと向かいます。



「源助。お館様を頼むぞ」

「??」

「三条の方様が招いた者斬れば生きてはおられん」

「な!」



源助が止めるいとまもなく甚三郎は庭で腹を切ります。



「お、お館様!甚三郎殿が!」



晴信は源助の声に戻ってきます。



「甚三郎!死んではならぬ。早まったな」

「ご安心下さいませ。これよりおここ様の元へ参り御守りします」

「甚三郎、死ぬことはゆるさぬ!」



この事があって後、晴信は湖衣姫を諏訪へと移しましてございます。

佐久へ

「これより佐久へと出陣いたす」



晴信は出陣にあたり上田原の戦いを振り返ります。



「一度上田原にて負けているが」



上田原での敗戦は自分の至らぬところが原因にて、武田の軍勢の至らざることに非ずと言います。

「竜渓等という行者をなんで呼んだのじゃ?」



三条殿の問いかけに八重は臆面もなく村上義清の調伏を頼んだと言います。ただ、結果的に湖衣姫を遠のかせる事に成功しているので三条殿は喜んでよいと。



「何が遠のかせたじゃ。お館様のお気持ちはまた遠のいたではないか?」

「殿方の気持ちは遠のいたり近づいたり、波のようなものにございます。ご心配遊ばしますな!」



八重殿は上機嫌でした。



「あああ!」



三条殿が突然悲鳴を上げます。




今宵は此処までと致します。

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