大河ドラマ武田信玄第1話の感想です。こちらを見るのは既に3回目にございます。ただ、3回目でございますが、まったく色あせぬのが、やはり私の大河史上最高傑作だけはござます。少しずつまた見ていこうと思いますのでお付き合い頂けば幸いにございます。

晴信「少年」が良かった

第1話では未だ、晴信は少年にございます。少年役は真木蔵人殿。この晴信役が俳優デビュー作となりました。デビュー作で、しかもこの時の年齢が16歳。


→大河ドラマ武田信玄第1話のあらすじはこちら。


初陣の緊張感が伝わる

冒頭、晴信の初陣、佐久郡海ノ口城城主平賀玄信殿を攻めの野戦からですが、その伝わってくる緊張感は「本物」ではなかったかなと思います。



その後、海ノ口城に夜襲を仕掛けるシーンでも、
板垣殿の言葉、



「生きる覚悟」


「死して、初陣は飾れませぬぞ」


という台詞に頷く姿が、野戦時の「緊張感」がようやく取れてきて、これから「夜襲」を掛ける「わくわく感」に代わっているのも、上手い演技であると思いました。

信虎殿との対立の萌芽

信虎殿は何故か冒頭から晴信を疎んじるお気持ちがあるようでした。



「小心者めが」


初陣の場面で既に、嫡男である晴信に対しては何故かあまり快く思っていない雰囲気が伝わって参りました。ただ、この頃は、晴信自身はまだ信虎殿に認められたい、そして疎まれている事には気が付いていない様子が良かったと思います。




夜襲にて城を落し、海ノ口城城主、平賀玄信殿を討ち取ったものの、信虎殿から御勘気に触れて叱責されている歳に、「孫子」の兵法を持ち出し反論します。ここには少年特有の「反発心」と同時に「認めて欲しい」という雰囲気がにじみ出ておりました。




また、今川家との和議に当たり、京の公家から嫁を迎える事を伝えた際に信虎殿から「嬉しくないのか?」と問われ、



「嬉しゅうございます!」



と答ている場面。この時晴信は「本当に」嬉しかったのだと思うのです。そして、父信虎殿が何故、嬉しいに決まっているこの話をしつこく、



「本当は嬉しくないのだろう?」


と詰問する事が分からない様子でした。その「戸惑い」が手に取るようにわかり、また私(大井夫人)の戸惑いとともに、信虎殿の偏狭さとまだ少年の晴信との対比が鮮やかだったと思います。そして、その理由「詰問」の理由は匿っている女(おここ)を捨てさせる布石でもあった事が、



「寺に匿っている女を捨ててこい!」


という言葉ですぐに明らかになります。ただ、晴信はそこまで言われても「嬉しくないのだろう?」と言う詰問や、ただ、戦場で怪我をしたから寺に保護している女子をわざわざ「捨ててこい」と拘る理由が理解できていない様子でした。そして、必死に「やましい事がない」事を尊敬する父信虎殿に理解して欲しいと、説明する様子があわれにございました。




後に、「おこことは二度と会わない」事で私(大井夫人)が預かるという約束を信虎殿と約したにも関わず、三条殿を嫁に迎えて後も、おここと密会を重ねていた事が信虎殿に露見した際に、



「約束を違えました!」


と、真っ直ぐ信虎殿を見て意見をしている場面においてさえ、「少年の反抗期」のような雰囲気で、父を本気で憎んだりしている様子はなかったと私は感じました。少年時代を真木蔵人殿に演じてもらったのは良かったと思います。

甲斐国を支える家臣団

物語は1536年からのスタートにございまいましたが、往年の名優たちの演技は何度見ても色あせる事はございませぬ。板垣信方殿(菅原文太殿)、原虎胤(宍戸錠殿)、飯富虎昌殿(児玉清殿)、甘利虎泰殿(本郷功次郎殿)・・・。宍戸殿以外は鬼籍に入られているのが時の流れを感じまする。

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まだ、信虎時代

この頃はまだ、家臣団と信虎殿の間には「信頼関係」があったと存じます。晴信を何故か疎まれる信虎殿ではございますが、板垣殿が「夜襲」の許しを得に来た際等に、



「どうか、板垣に免じてお許しを」



と、申せば結局は御許しが出ておりました。その雰囲気には信虎殿は共に甲斐を統一したまさに「股肱の臣」である、板垣殿をはじめとする家臣団に絶大な信頼を置いている様子が伺えます。また、同時に家臣の方々も、



「甲斐統一は我らの誇り」



信虎殿の「苛烈で戦好き」な御性格は少なくとも現在の甲斐には、問題があると考えている一方で、その苛烈な御性格があったればこそ、信虎の元に団結して甲斐統一を成し遂げたという誇りが見て取れます。




既に、この頃、我が甲斐は「限界」に近かったと思いますが、駿河国の内乱から「甲駿同盟」に至る事が出来たのは幸い。これで、晴信の成長まで我が甲斐が生き残れてことを考えれば、まさに、「天祐」というものだったかと思いまする。

板垣殿こそ父親代わり

この頃、晴信は父に認められたいといういじましさがございました。ただ、信虎殿はこれを跳ね付けるような行動ばかり。そのような中で、傅役が板垣殿であった事は幸いにございました。




そのお姿はまさに「父」を感じないわけには参りませんでした。後に、「軍略の天才」といったような評判をもらいますが当時はまだ少年。傅役であり、師であり、父である板垣殿があったればこその、後の「武田信玄」かと思います。




さて、今宵の最期は「大人」となった晴信でございますが、どのように「戦国」を生きていくのか。最期までお付き合いを頂けばと存じます。




今宵は此処迄に致しとうございます。