大久保正助(後の利通)と吉祥院住職の乗願囲碁について。大久保は後に久光の信頼を得て、薩摩藩の重臣となります。しかし、大久保もまた西郷と同じく「城下士」であり、身分は高いとは言えません。その「立身出世」のきっかけは「囲碁」でした。大久保と囲碁の関係について。

大久保と囲碁

大久保は御小姓与と呼ばれる身分で薩摩藩では西郷と同じく下級藩士です。ドラマなどではその「下級藩士」ぶりや貧困が強く描かれますね。確かに「御小姓与」は下から2番目の城下士であり、貧しかったというのも本当ではありますが、「極貧(例えば土佐の郷士のような)」という訳ではありません。



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一応、「運次第」では重役への出世も望める事は望める階級ではありました。因みに、大久保と西郷の分かりし頃の家老調所広郷の出自も二人と同じ「御小姓与」と伝わります。

賢かった大久保正助

大久保は文政13年(1830年)8月産まれ。琉球館附役の薩摩藩士・大久保利世と皆吉鳳徳のニ女・福の長男として生まれます。



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薩摩藩は下級藩士であっても豊かな教育機会と郷中制度と言われる「郷土教育制度」、昭和で言えば、「町内会」と「子供会」が合わさった制度があり、そこで大久保少年も西郷達郷中の仲間と切磋琢磨します。




大久保は色白で細く、さらに胃痛を持っていたようで「武」はからっきしではあったのですが、学問においては郷中の仲間達も一目置くほど優秀であったと伝わります。




弘化3年(1846年)より藩の記録所書役助として出仕するようになりますが、所謂「お由羅騒動」により大久保家の家計は暗転します。




前述の通り大久保家も西郷家と同じく「貧しかった」というエピソードが強調される事が特にドラマ等では多いですが、それはこのお由羅騒動に連座して大久保父子が謹慎となった影響が大きいですね。



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両家とも確かに貧しいのですが、その理由は「下級藩士」だったからという訳ではなく、大久保家は「お由羅騒動連座の謹慎」、西郷家は・・・「子沢山」と「吉兵衛の死」さらに藩の金融制度の変更も大きい。因みに、大久保正助に続いて父利世も謹慎が解かれた頃は再び生活は好転したと思われます。



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当初、囲碁は強くない・・・?



大久保と囲碁についての初見は嘉永元(1848)年正月の日記にあります。




ただ、全く強くはなかったようで、



前牧野氏被訪碁打相企三番打、拙者勝負負致候



と記載もあります。大久保が「囲碁」に目覚め、生涯の趣味とするのはもう少々後の事になります。

久光への接近を考える

島津斉彬の突然の死、そしてそれに続く「大獄の嵐」。西郷とその盟友でもあった月照は幕府の追跡の逃れ遠く薩摩まで落ち延びてきます。



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結果的に月照には「日向送り(事実上の死)」の沙汰が下り、西郷は月照と共に安政5年(1858年)12月冬の錦江湾に身を投げます。月照はそのまま亡くなり、西郷もまた大島へと島送りとなります。



「反動政治」


アンシャンレジームへの逆戻り。西郷という「頭目」を失った大久保達下級藩士、所謂「精忠組」は日本の政治はおろか、藩の政治すら動かす事は出来なくなってしまいます。




大久保は時に28歳。




斉彬は遺言では久光の子を養子として藩主に、さらに久光にはその後見をと言い残して亡くなりますが、その後はまだ存命中であり、江戸から薩摩へと戻った、斉彬・久光兄弟の父である斉興が握ります。




久光は「筋目」を非常に大事にする人物と伝わります。兄の存命中は敬愛する兄に従いますが、いくら兄の遺言とは言え父斉興の存命中はこれに従います。




斉興と斉彬の対立は良く知られていますが西郷に、



  • 新しい名前
  • 墓の中身
  • (行倒れの旅人の遺骸)



まで、準備して救ったのは斉興の命ですね。




大久保は遠くない将来、薩摩の実権を掌握するのは「国父」久光と判断します。実権を斉興が握っている今であれば逆に言えば久光にちかづく良い機会。




大久保はなんとか久光の知己を得ようとまずは久光の人となりを調べ、久光二つの趣味を把握します。



  • 学問(読書)
  • 主に国学

  • 囲碁


斉彬と比較される事多く、また西郷との関係が悪かった(ジゴロと言われた・・・)事もあり、久光の評判は芳しくない部分もありますが、間違いなく当時当代きっての教養人であった事は疑いありません。
(鹿児島大学には久光の1万5千に渡る書籍が残されています)




学問なら大久保の得意とする処ですが、一介の下級役人では流石に「ご学友」にはなれない。そこで考えたのが「囲碁」でした。

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妻の手ほどきから吉祥院乗願に弟子入り

前述の通り大久保の囲碁の腕前は大したことはなかったようです。一説には、碁の置き方もまだ怪しかったとも・・・。






大久保は同じ郷中出身の税所篤の実兄が吉祥院の住職乗願であり、さらに、久光の囲碁の師である事を知ると弟子入りする事を画策します。




しかし、「一流の打ち手」に弟子入りするには大久保の腕前はあまりに心もとない。そこで、大久保の妻満寿の登場。




満寿は祖父の手解きを受けて囲碁はかなりの腕前だったと言われます。妻が囲碁を良くする事を知ると徹底的に鍛えてもらい、僅か1週間程で満寿を凌駕する腕前に・・・!そして吉祥院の乗願に弟子入り。




大久保は乗願と碁を打つ際には久光への尊敬の念や「精忠組」の想いを熱心に語り、それが久光へも伝わるように画策します。




さらに、当時一流の国学者と言われた平田篤胤の「古史伝」を全巻入手すると、乗願に託し自分の印象が長く続くように一冊貸出し、さらにさらに、そこに「恋文」を挟み込み、久光の歓心を得ようと涙ぐましい努力をします。
(恋人は「久光の為にこれらの者は何時でも死ねるという連判状」のようなものですので・・・一応・・・!)




結果的に大久保は久光の目に留まる事になり、その人生は大きく拓ける事になるのです。

機会が降って来る西郷と機会を創った大久保

斉彬が藩主となり、西郷を「お庭方」として以降、その動きは目を見張るものがあります。結果的には「敗北」という事になってしまいますが、外様大名でありながら篤姫を時の将軍家定へ嫁がせ、将軍継嗣問題では「一橋派」の中心として中央政界で朝廷まで巻むという前代未聞離れ業をやってのけ、幕府保守派を追いつめます。




同じ下級藩士の西郷の活躍に内心忸怩たる部分もありつつ、「権力」を握る事の凄さを知ったのではないでしょうか。

大久保は信長か?

斉彬は藩主に就任すると広く意見を募ります。西郷が斉彬の目に留まったのは「意見書」が認められての事です。




ただ、西郷は決して「出世」するため、斉彬に近づく為に意見書を出した訳ではなかったと思います。




民の生活を良くしたいという「想い」一心のみ。




結果的には「出世」しますがそこに西郷の「意志」はなかった。西郷が斉彬に認められ、その薫陶を受け、薩摩藩の顔役として活躍するのは、



「運命」



であったように感じます。




一方で大久保。




大久保は西郷の活躍の理由を、



「斉彬との二人三脚」



だと確信していたはずです。藩の枢要に入らなければ、何も実現出来ない。大久保は「確信的」に出世を考えていました。




これは西郷とは別の意味で凄い事だと思うんですよね。




下級藩士から藩の枢要まで昇る。




この事で思いだすのは織田信長です。




信長が「天下布武」を宣言した頃は未だ尾張・美濃2カ国(しかも美濃は獲ったばかり)を領有した時です。




信長にはこの先へのイメージが明確にあった。



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この部分だけはある意味では「幕末の織田信長」と言える発想と行動力だと思います。




ただ、大久保は久光と行動を共にする間に感じたのではないでしょうか。



「斉彬-西郷ライン」



の劣化コピーだと。
久光は決して「愚かな藩主」ではありませんが、斉彬に比べれば見ている世界観はどうしても古い。




一方で大久保自身。




西郷のような人望が自分には無い。まあ、西郷は「代表的日本人」なので比べるのは酷ではありますが。




藩の枢要にまで登っても、同士を西郷のように纏める事が出来ない。この頃の大久保は一瞬は思ったと思うんですよね。



「斉彬-西郷の夢」


を、


「久光-大久保」


で実現する。
しかし、大久保は自分自身の限界も知る。多分、自分と久光では「斉彬-西郷」は超えられないと思ったのではないでしょう。




出世すればするほどに、西郷の大きさを改めて知る。



「やはり吉之助さぁはすごかぁ」



明治維新を達成するまでは、大久保は西郷の背中を常に追いかけていたように感じます。




以上、大久保と吉祥院住職乗願と囲碁。久光との接点でございます。

大河姫

今宵は此処までに致します。

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