ふきどん。大河ドラマ西郷どんの第2話で登場した貧農の娘。江戸へ出た西郷が再会した時は妖艶な芸妓?「お芳」となっておりましたが・・・。やはり!慶喜に「身請け」されましたね。ふき(お芳)と慶喜の関係について。

ふき(お芳)は実在?

私は西郷どん第9話「江戸のヒー様」で再会したふきが「お芳」という名前だった頃から「怪しい」と思っていましたが、やはり!ふきのモデルは新門辰五郎の娘「お芳」ですね・・・!しかし、新門辰五郎の娘「お芳」を貧農出身の芸妓にしてしまうとは中々・・・!



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慶喜の妻達

慶喜は御三家水戸家出身で御三卿一橋家当主です。当然その正室は「しかるべき処」からお迎えする事になります。




正室は今出川公久の娘で時の関白一条忠香の養女となった「省子」です。元々は関白一条忠香の娘と婚約していましたが病となり、急遽「代打」となったのが省子(後に美賀子)。二人は安政2年(1855年)12月に結婚しています。




丁度、篤姫が家定へ輿入れする直前位の時期ですね。




二人の間には安政5年(1858年)7月に一人女子が産まれますが数日で夭折してしまいます。丁度、家定が亡くなり一橋派・南紀派の争いや日米修好通商条約締結で世相が騒然としていた頃。元々、身体は強くなかったと言われているので、その影響もあったのではとも思います。




慶喜は後に「10男11女!」の子女をもうけていますが、この子供達は全て明治維新の後の誕生で母親は新村信と中根幸という二人の側室です。側室はこの他に正妻「省子」の女中をしていた須賀という娘もいますが、二人の間には子はありませんでした。




この正妻である省子と維新の後に子を成した妻たちの間、慶喜が最も「苦労」していた時期に慶喜を支えたのが新門辰五郎の娘である「お芳」という女性です。

お芳(ふき)

慶喜は省子との最初の子供を夭折した後、一橋派は「一敗地に塗れる」形となり慶喜は蟄居・謹慎。文久の改革で表舞台へ返り咲いたのち上洛し「禁裏後守衛総督」に就任します。




その頃、慶喜の身の回りを世話していたのが江戸の町火消し「を組」の頭新門辰五郎の娘であるお芳という女性です。父の新門辰五郎は慶喜の父である斉昭とも関係があったようで、慶喜の事も良く知っていたようです。




お芳は慶喜の上洛にも付き添い、鳥羽伏見の戦いの途中開陽丸で大阪湾から江戸へ脱出した際も帯同しています。ただ、江戸無血開城の後には暇を出されています。




その辺りのいきさつは想像の域を出ませんが、二人の間には子供が無かったことや、また、お芳はあくまで町人であり、今後待ち受けている過酷な運命(結果的には優雅な運命になりましたが・・・)に巻き込みたくはないと考えたのではないかなと思います。




父の新門辰五郎は明治維新の後も健在で慶喜と行動を共にしている事からも決して「険悪な別れ」ではなかったものと思われます。

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お芳の父、新門辰五郎

「辰五郎」というと「を組」じゃなくて「め組」じゃないの!?という方も多いかもしれません。歌舞伎の演目「神明恵和合取組」、そして何よりも「暴れん坊将軍」で吉宗のよき理解者である「辰五郎(北島三郎)」も「め組」の頭。史実では「を組」のお頭であり、時代も幕末明治頃の人物(吉宗の頃ではない)ですが、あまりにキャラが立っていたため現在も愛される「辰五郎」のモデルとなったようです。

を組継承まで

新門辰五郎は寛政12年(1800年)前後に現在の台東区に産まれたと伝わります。幼少の頃に父親が火事を出してしまい焼死、その償いの意味もあり町火消しへの道を志し、浅草十番組「を組」に身を寄せます。




若い頃から中々見所のある人物だったようで、町火消しとしての本業での活躍は勿論、当時の「町火消し」はある意味では「江戸の治安」も担当していたのですが、喧嘩の仲裁やよろず揉め事の解決にも活躍。




当時の頭である町田仁右衛門にその力量を認められて文政7年(1824年)頃には「婿養子」入り「を組」を継承。晴れて「を組」の頭となります。

慶喜との関係

上野大慈院別当の紹介で慶喜との知己を得たとも言われていますが、一説には慶喜の父である斉昭の時代から関係があったとも言われています。




町で手下が大喧嘩をして問題となった時に斉昭に呼び出され、



「首を落とすからそこに直れ!」


と言われた時に、


「首を斬るなら言ってくれりゃあ洗って来たものを!」

「鬢の油で刀が滑らねぇようにお気を付けなすって!」



と、宣ったのを斉昭はすっかり意気に感じて懇意にするようになったとか。個人的には慶喜の新門辰五郎への信頼の厚さを考えると、父親の時代からの付き合いという方がしっくりと来る気がします。

維新前後の活躍

町火消しというと「火事の時に頑張る」集団というイメージがあると思いますが、当時の町火消しは「任侠団体的」な役割も担っていました。




任侠団体というと流石に昨今ではイメージが悪い部分は否めませんが、当時は当然今ほどは法整備も整っておらず、江戸の治安には一役買っていたものと思われます。




最近の研究では所謂この町火消しに限らず、当時の所謂「親分衆(博徒)」は明治維新にも大きな影響を与えたのではとも言われているそうです。




まあ、分かる気がします。




平和な時はいざ知らず、「乱世」に本当に頼りになるのは誰か?




自分の力量で配下を抱えて飯を食わしている奴がエライ(頼りになる)。




新門辰五郎は勝海舟とも関係があったのですが、実際「江戸無血開城」の時に「本当に頼りになる」のは、既に腐り切ってしまっている「幕府という組織」よりも「親分衆」だと考えていたようです。




翔ぶが如くは1990年の大河ドラマですが、官軍との交渉にあたり、もし交渉決裂の際は新門辰五郎をはじめとする親分衆に、江戸に火を掛けるように頼んでいる場面がありますね。




新門辰五郎は慶喜に帯同して上洛し、慶喜が着の身着のまま大坂湾を脱出した後に、神君家康公以来の馬印を無事、江戸へと持ち帰り、維新後に水戸に蟄居、後に駿河へ転居した際も警護を務めています。




慶喜が許された後は江戸へと戻りますが、やはり「徳川家が日本で一番」という考えは捨てず祭りの提灯が「葵の御紋が菊の御紋の下になっている」のを見て、破り捨てたといいう逸話が残っているそうです。




最後まで慶喜への義理を果たす事が出来た新門辰五郎。




敗れたとは言え西郷吉之助からすれば、



「真っ直ぐで羨ましい人生」



と、感じたような気がします。




以上、「ふき(お芳)慶喜の関係は妾?妻?新門辰五郎娘お芳」でございます。

大河姫

今宵は此処までに致します。

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