愛らしい姿が際立つ虎寿丸虎寿丸を演じる子役は藤本悠希君です。この虎寿丸君は僅か5歳で亡くなってしまいますが、他も寛之助哲丸、斉彬の子供達を次々と襲う不幸・・・。また、斉彬の子供達は否応なしに「お家騒動」のきっかけに・・・。虎寿丸はじめ斉彬の子供達が夭折してしまう理由は?

虎寿丸の子役を演じるのは?

虎寿丸の子役キャストを演じるのは前述の通り藤本悠希君。2009年4月19日生まれの8歳(2018年3月18日現在)ですね!この記事を記載しているのが2018年3月18日なのであと少しで9歳ですね。






この虎寿丸君はじめ斉彬の子供達の度重なる「不幸」は「お由羅派の陰謀」という説が根強くあります。本当にそうなんでしょうか?

→【公式】西郷どんの見逃し動画!

不幸が続く斉彬の子供達

斉彬には正室恒姫(栄樹院)とドラマでもよく登場する喜久姫はじめ4人の側室があります。その間に虎寿丸を始め六男五女をもうけております。弟の久光の16人!にには及ばないものの、当時の水準としては国主としてはよく頑張った方に入ると思います。(斉彬・久光の父斉興は五男男ニ女と言われる)




ちょっと余談ですが斉彬父斉興は、一時期真剣に「斉彬廃嫡」を検討しましたが、正妻である恒姫が御三卿一橋家から迎えており、今更「廃嫡」は幕府との関係を悪くすると言う事で、渋々諦めたとも言われます。




さて、斉彬は「世継」でありながら中々家督を譲られませんでした。また、その子供達を襲う不幸が重なったため、所謂「斉彬派」は激昂し「お由羅騒動」に・・・。



※関連記事:→お由羅騒動と近思録崩れ!薩摩お家騒動系譜

次男寛之助お由羅騒動の引き金?

前述の通り斉彬には六人の子供がおりました。結論から言ってしまいますと、この六人は虎寿丸はじめ皆夭折してしまいます。




その中でも大きな争いの発端となったのが次男の寛之助の死です。




寛之助は弘化2年(1845年)2月に江戸で産まれます。しかし、残念ながら 嘉永元年(1848年)5月に僅か三歳で夭折。




既にこの時早く家督を斉彬に家督を継承して欲しい「斉彬派」と三男久光に家督を継承させたい「お由羅派」の対立はよく知られていましたがこの寛之助の死を斉彬派は「呪詛」と断じ対立が先鋭化します。




余談ですが、久光派でも斉興派でもなくお由羅派というのは、この「お由羅」が元は八百屋の娘から斉興の側室に出世しており「キャラが立っていた」事や、斉彬に家督を継がせたくないという藩主斉興の考えはよくわかっていても、「現藩主を仇」とする事には流石に気が引けたからではと思います。




そう考えると「恨みを一身に集めた」お由羅が少々気の毒にも感じます。




私自身は「呪詛」位はしていたのではないかと思いますが流石に「毒殺」はないのではと思います。(理由は後述)ただ、斉彬自身としてもこのままでは自分を支持する「斉彬派」と「お由羅派」の内訌が発生する可能性も憂慮し、少々手荒とも言える手法(調所広郷による密貿易密告など)で早期の家督継承を図ります。




これは結果的には斉彬が憂慮した通りの結果となってしまいますが・・・。



※関連記事:→お由羅騒動と近思録崩れ!薩摩お家騒動系譜

※関連記事:→調所広郷は蘭癖重豪の秘蔵っ子?

スポンサードリンク



五男虎寿丸の運命

次男寛之助が亡くなり所謂「お由羅騒動」の嵐が吹き荒れている最中の嘉永2年(1849年)江戸で誕生したのが虎寿丸です。斉彬の長男、三男・四男もかなり早い段階で夭折してしまいますが、この虎寿丸もまた五歳で夭折となります。




この時もやはり「お由羅派による呪詛」が疑われていました。ここで斉彬に跡取りがなければ久光にお鉢が回ってくる。




後に六男の哲丸が誕生しますが、この時はまだ母親久喜の胎内であり、無事に誕生するか、男子か女子かも分かりませんでした。




斉彬はこの時内々ではありますが、久光の子を自らの養子として、その後見を久光に任せるという話をしていたとも言われます。
(翔ぶが如く等)




国主にとって最も大事な仕事は跡取りをしっかりと定める事。




英邁で知られた斉彬がその事を放置するとは思えません。




ただ、これは自分自身を支持する「斉彬派」には受け入れがたい事だったでしょう。(斉彬と久光の間は終生良好だったと言われれる)



「儂はもう子供を狙われたくないのじゃ・・・」



これは大河ドラマ翔ぶが如くで斉彬が吉之助に語って聞かせる言葉です。斉彬自身は「呪詛」などは全く信じてはいなかったでしょうが、当時はまだその効果が真剣に信じられていた時代です。そういった者達を納得させるには、



「薩摩藩のため」



と言う正論よりも、



「我が子を狙われたくはない・・・」



という感情論の方が「刺さる」と判断したのではないかと思います。後に六男の哲丸が産まれますが、斉彬は最終的に久光の子を養子として久光には後見として後事を託します。




そして、この時点で「お由羅派」が斉彬の子供達を狙う理由(実行したか否かは別として)はなくなったと思われます。

斉彬の子供達は何故亡くなる?

六男の哲丸も斉彬の死後後を追うように亡くなります。斉彬の子女で成人したのは男子では誰もおらず、女子で3人のみ。




一方で久光の息子達は(勿論亡くなった子もいますが)嫡男忠義をはじめ(当時としては)長く生きた人が多い。




私はもしかすると斉彬家の子育て方法に「何か」理由があったのではと思います。




弟の久光自身は「伝統を重んじる」性格です。子育てに関しても「伝統的な手法」で行ったものと推察されます。
(久光の母が八百屋の娘お由羅というのも良い影響があった気がします)




一方で斉彬は「蘭癖」で良く知られています。
これはも「想像」の話となってしまいますが、何か「トリッキー」な子育て手法を導入していた可能性もあるように感じます。




斉彬は自らの「治療」も蘭方医に任せていましたが、これもまた斉彬の命を縮めたような気がしてなりません。



※関連記事:→斉彬の死因はコレラ?赤痢?それとも?


以上、虎寿丸の子役キャストと寛之助・哲丸斉彬の子供達について!

大河姫

今宵は此処までに致します。

→【公式】西郷どんの見逃し動画!

→斉彬は暗殺された?犯人が斉興?久光?と言われる理由

→斉彬の死因はコレラ?赤痢?砒素!?

→西郷どんのキャスト表(随時更新)

→西郷どんの子役キャスト表(随時更新)