家康田中城攻めのおり近藤武助暗殺されかかります。家康の暗殺未遂は史実でしょうか?家康暗殺未遂の犯人近藤武助は実在するのか?今回は因縁深い田中城と家康暗殺、そして近藤武助について。

徳川家康暗殺未遂事件

徳川家康の暗殺と言えばかの有名な慶長4年(1599年)9月9日の事件が有名ですね。2016年の大河ドラマ「真田丸」でも描かれていましたね。

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慶長4年(1599年)の事件

秀吉が亡くなり、さらに家康にとっては目の上のたん瘤でもあった前田利家も後を追うように死去。豊臣政権のパワーバランスが崩れる中、家康が大坂城へ途上した際に前田利長、浅野長政、大野治長、土方雄久が家康の暗殺を企んでいる事を増田・長束両奉行が察知して家康へと伝える。




同年3月の石田三成襲撃事件とそれに伴う三成失脚と併せて関ヶ原への布石ともいえる事件ですね。




事の真偽はともかく、家康が「暗殺計画があった」前提で動いた事は間違いありません。家康は「友」本多正信らと協議の上、警護の兵を伏見城から集めた上で秀頼の重陽の節句の祝を行っています。




さらに、暗殺を企んだと言われる4人に対しても厳しい処分を課し、特に前田家に対しては征伐一歩手前というところまで行っています。利家の妻松(芳春院)が家康の人質となる事でなんとか前田家は命脈を保つ事が出来ました・・・。




個人的には家康自身が暗殺計画といった「噂」を利用して、特に前田家のような大大名を貶め影響力を削いだのではないかと思います。後の関ヶ原では暗殺を疑われた4名はいずれも東軍に属しその罪を許されていますからね。




また、2016年の大河ドラマ「真田丸」等でも描かれていますが、秀吉が死の間際に家康暗殺を三成へ遺言したという説も歴史ドラマなどでは語られます。晩年の秀吉の様子や秀吉死後の家康の動きを見るとあながちあり得ない話ではないかもしれませんね。
(戦前の秀吉により禁止されていた大名家同士の婚姻を行う)




この秀吉没前後の「家康暗殺計画」はよく語られますが実はもっと前に家康は「暗殺され死んでいた」という説もあります。

阿部正豊による暗殺

慶長5年(1600年)9月世界史的にみても稀有な大戦「関ヶ原の戦い」。実は、関ヶ原の戦いで徳川家康は西軍石田三成の腹心である島左近の放った甲斐の六郎により、開戦直後に暗殺されていた・・・!

懐かしですね。
(年がばれる・・・)




1994年から『少年ジャンプ』でも掲載されていました。また、最近では2014年に新春ワイド時代劇として西田敏行さん主演での放送、過去にはテレ朝のドラマも放送されています。




実は、この影武者物語はある説元となっています。関ヶ原のはるか以前、桶狭間の戦い後、しばらくして暗殺されており、その後の家康は「世良田二郎三郎元信」という人物だという説を村岡素一郎なる人物が唱えています。




「世良田二郎三郎元信」の出自ですが家康の父違いの兄とされます。なので母は於大の方。家康にとってはもう一人の父違いの兄「松平康元(久松氏松平氏祖)」が産まれると、寺に預けられるも「殺生禁断」の境内で殺生を働いた事で寺を追放となり、浮浪児となっていた所を、子供を欲しがっていた修験道に買われたという訳です。




その後、桶狭間の戦いの頃には野武士の頭のような存在となり、桶狭間の戦いの混乱に乗じて浜松城を奪取、このまま三河を落そうとするものの、元康(つまり本物の家康)に負けて尾張へ逃亡。




信長からは元康(本物の家康)を今川から離反させるように言われるものの、元康は忠義に厚く(!)今川への忠誠を誓い寝返りません。元信(偽者)は紆余曲折あり結局元康(本物)に敗北しその支配下に入る事になりますが、主君今川義元の仇を討つべく出陣しようとしたところ阿部正豊に元康(本物)は暗殺されてしまう。




当時、元康(本物)の嫡男信康は幼児のため、三河を守る為容姿も似ている父違いの兄である元信(偽者)が元康となり、信長とは「元康」として面会し清洲同盟を締結し晴れて「偽者が本物の元康」となったという訳です。




勿論、かなり突飛な説なのですがその後の歴史がこの説の「状況証拠」として語られます。




後に、信長に謀反の嫌疑をかけられ嫡男信康と妻瀬名(築山殿)が殺害されていますが、この頃「家康(偽者)」には秀康・そして秀忠という実の息子が産まれています。そのため「元康(本物)」の忘れ形見である信康は既に邪魔になっていたという訳です。




そして、この更に後の小牧長久手の戦いの直前に家康の側近である石川数正が秀吉に寝返ります。これは、数正は「本物の家康(元康)」に忠誠を誓っており、いずれはその忘れ形見である信康が、後を継ぐ事を願っていましたが、信康の殺害により「元康(本物)」の血筋が断たれてしまったからだという訳です。

信長による暗殺

最後にもう一つ家康の暗殺(未遂)事件の紹介を。日本史上最大の政変と言っても過言ではない「本能寺の変」に関わる暗殺計画です。この本能寺の変で信長が横死した後、家康は「伊賀越え」で九死に一生を得ます。




この時家康は僅かな共を連れて上洛し安土城にて信長から接待を受けています。その饗応役を命じられていたのが明智光秀。




この明智光秀が命じられていたのは、実は「饗応役」ではなく「家康暗殺」だったというのです。




光秀はこの時饗応役を途中で解任され、中国攻めにある羽柴秀吉傘下に入り秀吉を助けるように命じられています。この時、信長の逆鱗に触れた事がきっかけとも言われます。



「生臭い魚を出した」
(饗応に不手際があったから)



とも言われますが、
光秀はこの時すでに信長のやり方にはついて行けなくなっており、命じられていた「家康暗殺を拒否した」ため、逆鱗に触れたという訳です。




光秀のその後の運命は本能寺の変から山崎の戦と暗転しますが、家康は光秀の重臣中の重臣である斉藤利光の娘は後に三代将軍家光の乳母となります。
(光秀は死なず南光坊天海として家康に仕えてというお話も・・・)
また、秀忠・家光と「光秀」から偏諱があったような名前を受けています。
(光はともかく、「秀」は秀吉も秀ですけどね)




この元ネタはフロイスの「日本史」かと思われます。



「或者は是れ或は信長の内命によりて、其の親類たる三河の君主(家康)を掩殺する為めではないかと、疑惑した」



と、いう記述があります。
光秀旗下の兵達も中国攻めとは異なる、京都への進軍ですからね。まさか、信長を殺害とは思わないでしょう。因みに、「敵は本能寺に在り!」というのは俗説で光秀が坂本城を立つ前にそう宣言したという資料はありません。

これらの「暗殺計画」「暗殺実施」は現状は俗説の域を出ていないものが殆どではありますが微妙な説得力があるのがまた魅力ではありますね。

田中城の因縁

家康が近藤武助に暗殺されかかる田中城攻め。この城は中々の要害として知られています。そして、家康の最期に縁があるのです。

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田中城と家康

※GoogleMapを元に加工



田中城は天文6年(1537年)「花倉の乱」を制して今川家家督を継いだ義元により築城されます。義元治世下では駿河・三河・遠江は今川家の勢力圏であり駿河西部のそれ程重要な城ではありませんでした。




ただ、桶狭間の戦いの敗北や武田信玄の駿河侵攻後は重用視される城となります。駿河侵攻時は山県政景が入城し遠江攻略の最前線となり、また、信玄の死後~長篠以降に関しては、駿河へと迫る徳川方に対する駿河国防の最前線となります。




田中城はこの規模の城にしては珍しく三重の堀を持ち、二の丸、三の丸には武田の築城に特徴的な「丸馬出し」(真田丸のような構造)が6カ所見られます。




駿河・遠江の最前線にありながら武田が滅びる天正10年(1582年)まで持ちこたえています。武田滅亡後は家康の施政下にはいるのですが、この城は家康の人生の最期に大きな関わりを持ちます。




時は流れ元和2年(1616年)1月。
家康は鷹狩先で倒れます。




この時、家康の御用商人であった茶屋四郎次郎が都で評判の料理だと鯛の天麩羅を家康に共します。家康はいたく気に入り、普段は節制を心がけているにも関わらず凄まじい食欲で鯛を何枚も平らげた事が遠因と言います。




その「最期の晩餐」ともいえる食事をしたのが、この田中城なんですね。
(亡くなったのはその約3ヶ月後の4月ですから最期の食事ではない)




勿論、「茶屋四郎次郎による暗殺」という事はないでしょう。

近藤武助は実在するのか?

家康の暗殺を実行する男近藤武助。彼は実在の人物なのでしょうか?

高天神城攻防で活躍?

残念ながら詳細な情報は分かっていません。ただ、高天神城攻め等で活躍した大須賀康高の旗下にその名前があります。




残念ながらそれ以上の情報はありません。




因みに、大須賀康高の娘は榊原康政の妻になります。大須賀康高には後を継げる息子がいなかったため、榊原康政と娘の間の子供を養子(つまり孫を養子とした)として後を継がせています。




後に榊原一門となってしまったため、名前を見る事はあまりないのですが、徳川四天王に匹敵する活躍をしたと言われます。




以上、家康暗殺!田中城攻めで家康暗殺を謀った近藤武助とは実在!?でございます。

今宵は此処までに致します。

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