大沢基胤はおんな城主直虎で龍雲丸が築くことになる「堀川城」の城主と目されていた武将です。代々、浜名湖周辺を治めていた豪族で、今川氏真の時代にはその忠臣と武力を見込まれた遠江の有力国衆でした。拠点は浜名湖東の堀江城。

大沢基胤の系譜

大沢氏に関しては遡ると藤原北家中御門流の公家持明院家の始祖である基家に繋がると言われています。ただ、徳川家康と激闘を演じたこの大沢基胤とその父大沢基相以前の系譜は判然としていない部分もありますが、鎌倉時代には浜名湖周辺を治めていたようです。

堀江城を治める

鎌倉時代には地頭の家柄として堀江城を拠点として活動。



※堀江城等の位置関係(※Googlemapを元に加工)



しかし、室町時代を経て戦国期には今川家が遠江を支配下に組み込みます。大沢氏も今川家に従うようになっていました。この辺りは、井伊家を始め、三河・遠江の他の豪族・国衆と同じような経緯で今川家傘下に入っていたのではないでしょうか。




ただ、面白いのは「今川に忠義を尽くす」家もあれば、隙あらば、「今川を裏切る機会」を狙っている面従腹背の国衆もいるというところ。まったく余談ですが、今川家支配はそれ程苛烈なものではなかったと思います。(余談の余談ですが、晴信の内政は時に苛烈でした・・・。)にも関わらず支配下に入る経緯や気持ちの持ちようで「忠臣」となったり「面従腹背の徒」となったりと、やはり、人間とは難しくも面白いものと思います。




上記は現在の地図でございますが、代々守って来た浜名湖東側に位置する堀江城に加えて、徳川勢との戦が近くなってきた頃には、堀川城・刑部城もその支城として傘下に納めていたようです。

今川家の忠臣として家康と激闘

永禄11年(1568年)徳川家康が遠江へ侵攻を開始。これには、甲斐の武田信玄も呼応し今川氏真は西と北から挟撃される形となります。

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奮戦!大沢基胤!

1558年(永禄11年)家康は遠江へ侵攻すると堀川城・そして大沢基胤の守る堀江城で頑強な抵抗に合います。そこで、堀江城攻略を諦めて、駿府へと至る街道の拠点、曳馬城(後の浜松城)攻略に向かいます。

※関連記事:→堀川城の戦いについて

曳馬城を陥落させると、掛川城攻略へと向かいたいところなのですが、掛川城を守るは今川氏真時代最強の忠臣であり、その武力にも定評のある朝比奈泰朝。



※遠江の拠点(Googlemapを元に加工)



後顧の憂いを無くすため、再び大沢基胤が守る堀江城を攻撃します。既に駿河は武田信玄に抑えられ、氏真は駿府を脱し掛川城へ逃げ込んでいます。井伊をはじめとする遠江国衆も今川を見限り援軍の当てもない中の籠城戦。しかし、大沢基胤の抵抗は凄まじく徳川方についた井伊谷三人衆の1人鈴木重時が討死するなど、一向に落城する気配はなく士気も旺盛でした。




家康はついに徳川方への帰順を条件とする大沢基胤の本領安堵を約束する誓書を与えて開城を迫ります。それでも、今川氏真に忠義を尽くそうとする大沢基胤はその許可を「今川氏真」に求めます。氏真は降伏と開城を認めると共に、



「これまでの忠義・奮戦に感謝する」


と、伝えたと言います。永禄12年5月、ついに堀江城は開城します。今川氏真が掛川城を開城し大名としての今川家が滅びる1ヵ月程前の事でした。

大沢基胤のその後

大沢基胤は徳川家康への帰順が認められ、その後は家康幕下の武将として、武田と徳川の争いの分水嶺となった長篠の戦、そして、徳川「夜戦の巧みさ」を日本中に示した、小牧長久手の戦いにも参加しています。




大沢基胤はこの時代の人間としてはかなり長命で(大永6年(1526年)生まれ)、家康が無事征夷大将軍に任官し江戸幕府を開いたのちの慶長10年(1605年)に亡くなります。
また、息子の大沢基宿はその「征夷大将軍」に任官するにあたっての、式典を公家方と調整し、吉良上野介で有名な高家(公家との調整役や式典担当者)のような役回りをしました。彼の子孫は明治時代まで続いています。




一方で残酷なのは「堀川城」です。ここに籠った半農半兵の守備隊は悉く討死、あるいは落城後に揃って首を刎ねられています。自らの支城として共に徳川と死闘を演じた大沢基胤のその後とは大きな落差がありますね。大沢基胤自身はその様子をどのような気持ちで見ていたのでしょうか。

※関連記事:→堀川城の戦いについて

これも戦国の世の習いと達観していたか。
あるいは、戦国の世の無常を嘆いていたのでしょうか。




大沢基胤の活躍は家康を狼狽させるほどではありましたが、もし、今川氏真が降伏を認めなかったら。もし、今川氏真の掛川城が開城するのが1~2ヵ月早かったら・・・。大沢氏はそこで断絶、いや無事に生き延びても歴史の表舞台から消えていたかもしれません。




大沢基宿に限りませんが本人の能力や頑張りを超えたところで起る「何かの力」でその一族郎党の運命が決してしまうのは歴史の面白さであると同時、残酷さでもあるなと感じます。




今宵は此処までに致します。